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「太平記」三井寺合戦並当寺撞鐘事付俵藤太事(その9)

前々せんぜん炎上の時は、寺門の衆徒これを一大事にして隠しける九乳きうにゆう鳧鐘ふしようも取る人なければ、空しく焼けて地に落ちたり。この鐘とまうすは、昔竜宮城りゆうぐうじやうより伝はりたる鐘なり。その故は承平しようへいの頃俵藤太たはらとうだ秀郷ひでさとと言ふ者ありけり。ある時この秀郷ただ一人勢多の橋を渡りけるに、丈二十丈にじふぢやうばかりなる大蛇、橋の上に横たはつて伏したり。両のまなこかかやいて、天に二つの日を掛けたるが如し、並べる角するどにして、冬枯れの森の梢に異ならず。くろがねの牙上下に生ひ違ふて、くれなゐの舌ほのほを吐くかと怪しまる。もし世の常の人これを見ば、目も暮れたましひ消えてすなはち地にもたふれつべし。されども秀郷天下第一の大剛だいかうの者なりければ更に一念も動ぜずして、かの大蛇の背中の上を荒らかに踏んでしづかに上をぞ越えたりける。しかれども大蛇も敢へて驚かず、秀郷も後ろを顧みずして遥かに行き隔たりけるところに、怪しげなる小男こをとこ一人忽然として秀郷が前に来たつて言ひけるは、「我この橋の下に住む事すでに二千余年なり。貴賎往来わうらいの人を量り見るに、今御辺ほどにかうなる人をいまだ見ず。我に年来としごろ地を争ふ敵あつて、ややもすれば彼が為に悩ませむ。しかるべくは御辺我が敵を討つてび候へ」と、懇ろにこそ語らひけれ。秀郷一義も言はず、「子細あるまじ」と領状りやうじやうして、すなはちこの男をさきに立ててまた勢多の方へぞかへりける。




前々炎上の時は、寺門(現滋賀県大津市にある園城寺)の衆徒([僧])が一大事と隠した九乳([釣鐘])の鳧鐘([釣鐘])でしたが取る人もなく、空しく焼けて地に落ちました。この鐘は、昔竜宮城より伝わった鐘でした。というのも承平の頃俵藤太秀郷(藤原秀郷。平安時代中期の貴族・武将)と言う者がいました。ある時この秀郷がただ一人で勢多の橋(現滋賀県大津市瀬田)を渡っていると、丈二十丈(約60m)もある大蛇が、橋の上に横たわって伏していました。両眼は輝いて、天に二つの日を掛けたよう、対の角は鋭く(蛇に角はないが?)、まるで冬枯れの森の梢のようでした。鉄の牙が上下に生え違い、紅の舌は炎を吐くように見えました。もし世の常の人がこれを見ば、目も暮れ魂も消えてたちまち地に倒れてしまうほどの恐ろしさでした。けれども秀郷は天下第一の大剛の者でしたのでまったく一念も動じることなく、かの大蛇の背中の上を荒らかに踏んで静かに上を越えて行きました。大蛇も驚かず、秀郷も後ろを振り返ることなく遥かに行き過ぎるところに、怪しげな小男が一人忽然として秀郷の前に現れて言うには、「わたしがこの橋の下に住んですでに二千余年になります。貴賎の往来の人を見てきましたが、御辺ほど剛の人を見たことはありません。わたしには年来この地を争う敵がいます、時に敵に悩まされているのです。どうか御辺よ我が敵を討ってください」と、慇懃に頼みました。秀郷は一義もなく、「任せておけ」と領状して、この男を前に立ててまた勢多の方へ帰りました。


続く


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by santalab | 2016-07-09 08:54 | 太平記 | Comments(0)

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