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「太平記」建武二年正月十六日合戦事(その3)

かかるところに粟田口あはたぐちより 馬煙むまけむりを立てて、その勢四五万騎しごまんぎがほど引いて出で来たり。誰やらんと見給へば、三井寺みゐでらへ向かひし四国・西国の勢どもなり。まことに皆いくさ手痛くしたりと見へて、薄手少々せうせう負はぬ者もなく、鎧の袖兜の吹きかへしに、矢三筋さんすぢ四筋り懸けぬ人もなかりけり。さるほどに新田左兵衛さひやうゑかみ、二万三千余騎を三手に分けて、一手ひとてをば将軍塚しやうぐんづかの上へ上げ、一手をば真如堂しんによだうの前より出し、一手をば法勝寺ほつしようじを後ろに当てて、二条河原にでうがはらへ出だして、すなはち合図あひづの煙をぞ上げさせける。みづからは花頂山くわちやうざんに打ち上がつて、敵の陣を見渡し給へば、かみただすの森より、しも七条河原しちでうがはらまで、馬の三頭さんづに馬を打ち懸け、鎧の袖に袖を重ねて、東西南北四十しじふ余町よちやうが間、きりを立つるばかりの地も見えず、身をそばだてて打ち囲みたり。




そうこうするところに粟田口(現京都市東山区。平安京七口の一つで、東海道の京への入り口)より馬煙を立てて、その勢四五万騎ばかり引き連れてやって来ました。誰かと見れば、三井寺(現滋賀県大津市にある園城寺)に向かった四国・西国の勢どもでした。まことに皆激しく軍したと見えて、薄手を少々負わぬ者もなく、鎧の袖兜の吹き返し([兜の左右のしころの両端が上方へ折れ返っている部分])に、矢を三筋四筋折り懸けぬ人はいませんでした。やがて新田左兵衛督(新田義貞)は、二万三千余騎を三手に分けて、一手を将軍塚(現京都市東山区華頂山上にある塚)の上へ上げ、一手を真如堂(現京都市左京区にある真正極楽寺)の前より出し、一手を法勝寺(かつて現京都市左京区にあった寺院)を後ろに当てて、二条河原へ向けて、たちまち合図の煙を上げさせました。義貞は花頂山(華頂山)に打ち上がり、敵の陣を見渡せば、上は糺の森(現京都市左京区の下鴨神社の境内にある社叢林)より、下は七条河原まで、馬の三頭([牛馬の背の尻に近い高くなっている所])に馬を連ね、鎧の袖に袖を重ねて、東西南北四十余町の間には、錐を立つるほどの地も見えず、びっしりと打ち囲んでいました。


続く


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by santalab | 2016-07-20 08:28 | 太平記 | Comments(0)

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