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「太平記」建武二年正月十六日合戦事(その8)

ここに細川ほそかはきやうの律師定禅ぢやうぜん、四国の勢どもに向かつてのたまひけるは、「いくさの勝負は時の運に依る事なれば、あながちに恥ならねども、今日の負けは三井寺みゐでらの合戦より事始まりつる間、我らが瑕瑾かきん、人のあざけりを遁れず。さればわざと他の勢を交えさずして、華やかなるいくさ一軍ひといくさして、天下の人口を塞がばやと思ふなり。推量するに、新田が勢は、終日ひねもすの合戦にくたびれて、敵に当たり変に応ずる事自在なるまじ。その外の敵どもは、京白河の財宝に目を懸けて一所にあるべからず。そのうへ赤松筑前のかみわづかの勢にて下松さがりまつに控へてありつるを、無代むたいに討たせたらんも口惜しかるべし。いざや殿ばら、蓮台野れんだいのより北白河へ打ちまはつて、赤松が勢となり合ひ、新田が勢を一当て当てて見ん」とのたまへば、とうきつばんの者ども、「子細候ふまじ」とぞ同じける。定禅ぢやうぜんなのめならず喜んで、わざと将軍にも知らせ奉らず、伊予・讚岐の勢の中より三百余騎をすぐつて、北野の後ろより上賀茂かみかもを経て、密かに北白河へぞ廻りける。ただすの前にて三百余騎の勢十方に分けて、下松さがりまつ薮里やぶさと静原しづはら松崎まつがさき・中賀茂、三十さんじふ余箇所よかしよに火を懸けて、ここをば打ち捨てて、一条・二条にでうの間にて、三所に鬨のこゑをぞ上げたりける。




ここに細川卿の律師定禅(細川定禅)が、四国の勢どもに向かって申すには、「軍の勝負は時の運に依ることなれば、必ずしも恥ではないが、今日の負けは三井寺(現滋賀県大津市にある園城寺)の合戦より始まった、我らの瑕瑾([恥])であり、人の嘲りを遁れることはなかろう。なれば他の勢を交えず、あっと驚く軍を一軍して、天下の人口を塞ごうと思うておる。思うところ、新田(新田義貞)の勢は、終日の合戦にくたびれて、敵に当たってたちまち反撃もできまい。そのほかの敵どもは、京白河(現京都市左京区)の財宝に目をかけて一所にはいないであろう。その上赤松筑前守(赤松貞範さだのり)がわずかの勢で下り松(現京都市左京区にある一乗寺)に控えておる、無代([ないがしろにすること])に討たせるのも口惜しいことよ。どうだ殿ども、蓮台野(現京都市北区)より北白河(現京都市左京区)を廻って、赤松の勢の振りをして、新田(新田義貞)の勢を一当て当ててみようではないか」と申せば、藤・橘・伴の者どもも、「異議なし」と同意しました。定禅はたいそうよろこんで、将軍(足利尊氏)に知らせることなく、伊予・讚岐の勢の中より三百余騎を選りすぐって、北野(現京都市上京区にある神社)の後ろより上賀茂(現京都市北区にある神社)を経て、密かに北白河へ廻りました。糺(現京都市左京区)の前で三百余騎の勢を十方に分けて、下り松・薮里(現京都市左京区にある薮里釈迦堂)・静原(現京都市左京区)・松崎(松ヶ崎。現京都市左京区)・中賀茂(現京都市左京区)、三十余箇所に火を懸けて、そこを打ち捨て、一条・二条の間で、三所に鬨の声を上げました。


続く


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by santalab | 2016-07-27 08:09 | 太平記 | Comments(0)

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