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「太平記」建武二年正月十六日合戦事(その9)

げにも定禅ぢやうぜん律師推量の如く、敵京白河に分散して、一所へ寄る勢少なかりければ、義貞よしさだ義助よしすけ一戦に利を失うて、坂本を指して引つ返しけり。所々に打ち散りたるつはものども、にはかにあわてて引きける間、北白河・粟田口あはたぐちの辺にて、舟田入道・大館おほたち左近の蔵人・由良三郎左衛門さぶらうざゑもんじよう・高田七郎左衛門しちらうざゑもん以下いげ宗との官軍くわんぐん数百騎すひやくき討たれけり。卿律師、やがて早馬を立てて、この由を将軍へ申されたりければ、山陽せんやう山陰せんおん両道へ落ち行きける兵ども、皆また京へぞ立ち帰る。義貞よしさだ朝臣は、わづかに二万騎にまんぎの勢を以つて将軍の八十万騎はちじふまんぎを懸け散らし、定禅ぢやうぜん律師は、また三百余騎の勢を以つて、官軍の二万余騎を追ひ落とす。かれは項王かうわうが勇みを心とし、これは張良がはかりことを宗とす。智謀勇力いづれも取り取りなりし人傑じんけつなり。




まこと定禅律師(細川定禅)が思った通り、敵は京白河(現京都市左京区)に分散して、一所へ集まっている勢は少なく、義貞(新田義貞)・義助(脇屋義助)一戦に利を失って、坂本(現滋賀県大津市)を指して引き返しました。所々に打ち散っていた兵どもも、にわかにあわてて引いたので、北白河(現京都市左京区)・粟田口(現京都市東山区。平安京七口の一つで、東海道の京への入り口)の辺で、舟田入道(船田義昌よしまさ)・大館(大舘)左近蔵人・由良三郎左衛門尉・高田七郎左衛門以下主な官軍数百騎が討たれました。卿律師(細川定禅)は、たちまち早馬を立てて、この由を将軍(足利尊氏)に伝えると、山陽・山陰両道へ落ちて行った兵どもは、皆また京に帰りました。義貞朝臣(新田義貞)は、わずかに二万騎の勢を以って将軍の八十万騎を駆け散らし、定禅律師は、また三百余騎の勢で、官軍の二万余騎を追い落としました。かれは項王(項籍=項羽。秦末期の楚の武将。秦に対する造反軍の中核となり秦を滅ぼし、一時、西楚の覇王と号したそうな)が勇みを心とし、これは張良(秦末期から前漢初期の政治家・軍師。字は子房。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、劉邦の覇業を大きく助けた)の謀を第一としました。智謀勇力いずれも取り取りの人傑でした。


続く


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by santalab | 2016-07-28 08:20 | 太平記 | Comments(0)

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