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「太平記」正月二十七日合戦事(その4)

これを見ける敵ども、「あなをびただし、凡夫のわざに非ず」とぢて色めきける処へ、禅智房護聖院ごしやうゐんの若者ども、千余人抜き連れて責め入りける間、宇都宮神楽岡かぐらをかを落ちて二条にでうの手に馳せくははる。これよりしてぞ、全村を手突因幡てつきのいなばとは名付けける。山法師やまほふし鹿谷ししのたにより寄せて神楽岡の城を責むる由、両党の中よりまうしければ、将軍やがて後攻ごづめをせよとて、今河・細川の一族に、三万余騎を差し副へて被遣けるが、城は早や被責落、敵入れ替はりければ、後攻めの勢もいたづらに京中きやうぢゆうへぞかへりける。




これを見た敵どもは、「なんという馬鹿力よ、とても凡夫のわざではない」と怖じて色めき立つところに、禅智房護聖院の若者どもが、千余人抜き連れて([大勢の者が、そろって刀を抜くこと])攻め入ったので、宇都宮(宇都宮公綱きんつな)は神楽岡(現京都市左京区南部の吉田山の異称)を落ちて二条の手に馳せ加わりました。これより、全村を手突因幡と呼ぶようになりました。山法師([延暦寺の僧])が鹿ヶ谷(現京都市左京区)より寄せて神楽岡城を攻めていると、両党(紀清両党=宇都宮氏の家中の精鋭として知られた武士団)の中より告げ知らせたので、将軍(足利尊氏)はすぐさま後詰め([敵の背後に回って攻めること])をせよと、今川(今川範国のりくに)・細川(細川顕氏あきうぢ)の一族に、三万余騎を差し添えて向かわせましたが、城はすでに攻め落とされて、敵が入れ替わっていましたので、後攻めの勢は役にも立たず京中に帰りました。


続く


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by santalab | 2016-08-03 08:29 | 太平記 | Comments(0)

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