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「太平記」正月二十七日合戦事(その5)

去るほどに、楠木判官・結城ゆふき入道・伯耆はうきかみ、三千余騎にてただすの前より押し寄せて、出雲路いづもぢの辺に火を懸けたり。将軍これを見給ひて、「これは如何様神楽岡の勢どもと思ゆるぞ、山法師やまほふしならば馬上の懸け合ひは心憎からず、急ぎ向かつて懸け散らせ」とて、上杉伊豆いづの守・畠山修理しゆりの大夫・足利尾張をはりの守に、五万余騎を差し副へてぞ被向ける。楠木は元より勇気無双ぶさうの上智謀第一なりければ、一枚楯の軽々としたるを五六百てふ剥がせて、板の端に懸け金と壺とを打つて、敵の駆けんとする時は、この楯の懸け金を懸け、城の掻楯かいだての如く一二町いちにちやうがほどにき並べて、透き間より散々に射させ、敵引けば究竟くつきやうの懸け武者を五百余騎選つて、同時にばつと駆けさせける間、防ぎ手の上杉・畠山が五万余騎、楠木が五百余騎に被揉立て五条河原かはらへ引き退く。敵はこれ計りかと見る処に、奥州あうしうの国司顕家あきいへきやう二万余騎にて粟田口より押し寄せて、車大路くるまおほちに火を被懸たり。




やがて、楠木判官(楠木正成)・結城入道(結城宗広むねひろ)・伯耆守(名和長年ながとし)は、三千余騎で糾(糾ノ森=現京都市左京区下鴨神社の森)の前より押し寄せて、出雲路の辺に火を懸けました。将軍(足利尊氏)はこれを見て、「これはどう見ても神楽岡(現京都市左京区南部の吉田山の異称)の勢どもの仕業であろう、山法師([延暦寺の僧])ならば馬上の駆け合いが有利である、急ぎ向かって駆け散らせ」と申して、上杉伊豆守(上杉重能しげよし)・畠山修理大夫(畠山国清くにきよ)・足利尾張守(斯波高経たかつね)に、五万余騎を差し添えて向かわせました。楠木(正成)は元より勇気無双の上智謀に長けていたので、一枚楯の軽々としたものを五六百帖剥がせて、板の端に懸け金と壺金([掛け金がはまる金具])を打って、敵が駆けようとする時は、この楯の懸け金をかけ、城の掻楯のように一二町ほども築き並べて、透き間より散々に矢を射させ、敵が引けば究竟の駆け武者を五百余騎選って、同時にぱっと駆けさせたので、防ぎ手の上杉(重能)・畠山(国清)の五万余騎は、楠木(正成)の五百余騎に押されて五条河原に引き退きました。敵はこれで仕舞いかと思うところに、奥州国司顕家卿(北畠顕家)が二万余騎で粟田口(現京都市東山区)より押し寄せて、車大路(京都五条橋を渡って東山方面に至る道)に火を懸けました。


続く


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by santalab | 2016-08-04 08:09 | 太平記 | Comments(0)

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