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「太平記」正月二十七日合戦事(その6)

将軍これを見給ひて、「これは如何様北畠殿と思ゆるぞ、敵も敵にこそよれ、尊氏向かはでは叶ふまじ」とて、みづか五十万騎ごじふまんぎを率し、四条しでう・五条の河原かはらへ馳せ向かつて、追うつかへしつ、入れ替へ入れ替へ時移るまでぞ被闘ける。尊氏たかうぢきやうは大勢なれども軍する勢少なくして、大将すでに戦ひくたびれ給ひぬ。顕家あきいへの卿は小勢なれば、入れ替はる勢なくして、諸卒忽ちに疲れぬ。両陣互ひに戦ひ屈して忿いかりを抑へ、馬の息継ぎ居たる処へ、新田左兵衛さひやうゑかみ義貞・脇屋右衛門うゑもんすけ義助よしすけ・堀口美濃のかみ貞満さだみつ大館おほたち左馬の助氏明うぢあきら、三万余騎を三手に分け、双林寺さうりんじ将軍塚しやうぐんづか法勝寺ほつしようじの前より、中黒の旗五十余流れ差させて、二条河原にでうがはらに雲霞の如くに打ち囲みたる敵の中を、真つ横様に懸けとほりて、敵の後ろを切らんと、京中きやうぢゆうへこそ被懸入けれ。敵これを見て、「すはや例の中黒よ」と云ふほどこそあれ、鴨河・白河・京中きやうぢゆうに、稲麻竹葦たうまちくゐの如くに打ち囲ふだる大勢ども、馬を馳せたふし、弓矢をかなくり捨てて、四角八方はつぱうへ逃げ散る事、秋の木の葉を山下風やまおろしの吹き立てたるに不異。




将軍(足利尊氏)はこれを見て、「これはどう見ても北畠殿(北畠顕家あきいへ)と思われる、敵の大将ならば、この尊氏が向かわない訳には行かぬ」と、自ら五十万騎を率し、四条・五条河原に馳せ向かって、追いつ返しつ、新手を入れ替え入れ替え時が移るまで戦いました。尊氏卿は大勢でしたが軍をする勢は少なく、大将はすでに戦いくたびれました。一方顕家卿は小勢でしたので、入れ替わる勢もなく、諸卒はたちまち疲れてしまいました。両陣互いに戦い兼ねて怒りを抑え、馬の息継ぎをするところに、新田左兵衛督義貞(新田義貞)・脇屋右衛門佐義助(脇屋義助。新田義貞の弟)・堀口美濃守貞満(堀口貞満)・大館左馬助氏明(大舘氏明うぢあき)は、三万余騎を三手に分け、雙林寺(現京都市東山区にある寺院)・将軍塚(現京都市東山区にある塚。平安遷都の時、都の守護として武装させた土偶を埋めたという)・法勝寺(かつて現京都市左京区にあった寺院)の前より、中黒(大中黒。新田氏の家紋)の旗を五十余流れ差させて、二条河原に雲霞の如く打ち囲んだ敵の中を、真っ横様に駆け通って、敵の後ろを切ろうと、京中に駆け入りました。敵はこれを見て、「あれを見ろ例の中黒よ」と言うほどこそあれ、鴨川・白川(現京都市左京区・東山区を流れる川)・京中に、稲麻竹葦([多くの人や物が入り乱れるように群がっている様])の如く打ち囲んでいた大勢どもは、馬を馳せ、弓矢をかなぐり捨てて、四方八方へ逃げ散る様は、秋の木の葉を山颪が吹き散らすかのようでした。


続く


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by santalab | 2016-08-05 08:09 | 太平記 | Comments(0)

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