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「太平記」正月二十七日合戦事(その7)

義貞朝臣は、わざと鎧を脱ぎ替へ馬を乗り替へて、ただ一騎敵の中へ懸け入り懸け入り、いづくにか尊氏たかうぢきやうのおはすらん、撰び打ちに討たんと伺ひ給ひけれども、将軍運強くして、つひに見へ給はざりければ、無力その勢を十方へ分けて、逃ぐる敵をぞ追はせられける。中にも里見・鳥山の人々は、わづかに二十六騎の勢にて、丹波路たんばぢの方へ落ちける敵二三万騎にさんまんぎありけるを、将軍にてぞおはすらんと心得て桂河かつらがはの西まで追ひける間、大勢にかへし合はせられて一人も不残被討にけり。さてこそ十方に分かれて追ひけるつはものも、「そぞろに長追ひなせそ」とて、皆京中きやうぢゆうへは引つ返しける。かくて日すでに暮れければ、楠木判官総大将そうだいしやうの前に来たつてまうしけるは、「今日の御合戦、不慮に八方はつぱうの衆を傾むくと申せどもさして被討たる敵も候はず、将軍の落ちさせ給ひける方をも不知、御方僅かの勢にて京中に候ふほどならば、兵皆財宝に心を懸けて、如何に申すとも、一所に打ち寄する事不可有候ふ。去るほどならば、前の如くまた敵に取つて被返て、度方とはうを失ふ事治定ぢぢやう可有と思え候ふ。敵に少しも機を付けぬれば、後の合戦しにくき事にて候ふ。ただこのままにて今日は引つ返させ給ひさふらひて、一日馬の足を休め、明後日のほどに寄せて、今一当て手痛く戦ふほどならば、などか敵を十里じふり・二十里が外まで、追ひ靡けでは候ふべき」と申しければ、大将まことにげにもとて、坂本へぞ被引返ける。




義貞朝臣(新田義貞)は、鎧を脱ぎ替え馬を乗り替えて、ただ一騎敵の中へ駆け入り駆け入り、どこに尊氏卿(足利尊氏)がおるや、選び討ちに討とうと窺っていましたが、将軍の運は強く、遂に見付けることなく、仕方なくその勢を十方へ分けて、逃げる敵を追わせました。中でも里見・鳥山の人々は、わずかに二十六騎の勢で、丹波路(丹波口を起点として丹波国に至る道)の方へ落ち行く敵が二三万騎ありましたが、将軍だと心得て桂川(現京都市左京区を流れる淀川水系の一)の西まで追いましたが、大勢に返し合わせられて一人も残らず討たれました。十方に分かれて追っていた兵も、「無駄に長追いするな」と、皆京中に引き返しました。こうして日もすでに暮れたので、楠木判官(楠木正成まさしげ)は総大将(北畠顕家あきいへ)の御前に参り申すには、「今日の合戦で、不慮([以外])にも八方の衆を傾むく([向ける])と申せどもさして討たれる敵もなく、将軍(足利尊氏)が落ちた方をも知らず、味方がわずかの勢で京中に残れば、兵は皆財宝に心を懸けて、如何に申すとも、一所に打ち寄せることはござません。ならば、前の如くまた敵に取って返されて、途方([手立て])を失うことは間違いございません。敵に少しも機を与えれば、後の合戦に支障が出ることでございましょう。ただこのまま今日は引き返されて、一日馬の足を休め、明後日のほどに寄せて、今一当て手痛く戦えば、どうして敵を十里・二十里の外まで、追い靡かさぬことがございましょう」と申したので、大将(北畠顕家)も確かと思い、坂本(現滋賀県大津市)に引き返しました。


続く


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by santalab | 2016-08-06 08:43 | 太平記 | Comments(0)

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