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「太平記」正月二十七日合戦事(その8)

将軍は今度も丹波路たんばぢへ引き給はんと、寺戸の辺までをはしたりけるが、京中きやうぢゆうには敵一人も不残皆引つかへしたりと聞こへければ、また京都へぞ帰り給ひける。この外八幡・山崎・宇治・勢多・嵯峨・仁和寺・鞍馬路くらまぢへ懸かりて、落ち行きける者どももこれを聞いて、皆我も我もと立ち帰りけり。入洛のていこそ恥かしけれども、今も敵の勢を見合はすれば、百分が一もなきに、毎度かく被追立、見苦しき負けをのみするは非直事。我ら朝敵てうてきたるゆゑか、山門に被咒詛故かと、はかりことつたなき所をばさしおいて、人々怪しみ思はれける心のほどこそ愚かなれ。




将軍(足利尊氏)は今度も丹波路(丹波口を起点として丹波国に至る道)へ引こうと、寺戸(現京都府向日市)の辺まで進んでいましたが、京中には敵は一人も残らず皆引き返したと聞こえたので、また京都に帰りました。このほか八幡(現京都府八幡市)・山崎(現大阪府三島郡島本町)・宇治(現京都府宇治市)・勢多(現滋賀県大津市瀬田)・嵯峨(現京都市右京区)・仁和寺(現京都市右京区)・鞍馬路(現京都市北区から鞍馬寺=現京都市左京区。門前に至る道)に懸かって、落ちていた者どももこれを聞いて、皆我も我もと京に立ち帰りました。入洛は恥ずかしいものでした、今も敵の勢を見合わせば、百分の一もいませんでした、毎度このように追い立てられ、見苦しい負けばかり喫するのはただごとではありませんでした。我らが朝敵である故か、山門(延暦寺)に咒詛([呪詛]=[他人に災いが起こるように祈ること])せられた故かと、謀の拙さを差し置いて、人々が怪しむことこそ愚かでした。


続く


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by santalab | 2016-08-07 10:37 | 太平記 | Comments(0)

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