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「太平記」大樹摂津国豊嶋河原合戦事(その2)

さるほどに両家りやうけの軍勢、二月六日の巳の刻に、はしたなく豊嶋てしま河原かはらにてぞ行ち合ひける。互ひに旗の手を下ろして、東西に陣を張り、南北にりよたむろす。奥州あうしうの国司先づ再び逢うて、いくさ利あらず、引き退いて息を継げば、宇都宮入れ替はつて、一面目に備へんと攻め戦ふ。その勢二百余騎討たれて引き退けば、脇屋右衛門うゑもんすけ二千余騎にて入れ替はりたり。敵には仁木につき・細川・かう・畠山、先日の恥を清めんと命を棄てて戦ふ。官軍くわんぐんには江田・大館おほたち・里見・鳥山、ここを破られてはいづくへか引くべきと、身をなき者になしてぞ防ぎける。されば互ひに死をかろんぜしかども、つひに雌雄を決せずして、その日は戦ひ暮らしてけり。ここに楠木判官正成まさしげ、遅ればせにて下りけるが、合戦のていを見て、おもてよりは駆けず、神崎より打ちまはつて、浜の南よりぞ寄せたりける。左馬のかみの兵、終日ひねもすいくさに戦ひくたびれたる上、敵に後ろを包まれじと思ひければ、一戦ひといくさもせで、兵庫を指して引き退く。




やがて両家の軍勢は、(建武三年(1336))二月六日の巳の刻([午前十時頃])に、大軍が豊島河原(現大阪府箕面市・池田市)で対峙しました(豊島河原合戦)。互いに旗の手を下ろして、東西に陣を張り、南北に陣を構えました。奥州国司(北畠顕家あきいへ。後醍醐天皇方)がまず戦いましたが、軍に負けて、引き退いて息を継げば、宇都宮(宇都宮公綱きんつな)が入れ替わって、面目を立てようと攻め戦いました。その勢二百余騎が討たれて引き退けば、脇屋右衛門佐(脇屋義助よしすけ。新田義貞の弟)が二千余騎で入れ替わりました。敵には仁木(仁木頼章よりあき)・細川(細川頼春よりはる)・高(高師直もろなほ師泰もろやす)・畠山(畠山国清くにきよ)が、先日の恥を雪ごうと命を棄てて戦いました。官軍には江田・大館・里見・鳥山が、ここを破られてどこへか引くべきと、身をなきものになして防ぎました。こうして互いに死を軽んじて戦いましたが、遂に雌雄を決せずして、その日は戦い暮らしました。ここに楠木判官正成(楠木正成)が、遅れて下って来ましたが、合戦の様子を見て、面よりは駆けず、神崎(現兵庫県尼崎市)より打ち廻って、浜の南より寄せました。左馬頭(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)の兵が、終日の軍に戦いくたびれていた上、敵に後ろを囲まれまいと思って、一戦もせずに、兵庫(現兵庫県神戸市兵庫区)を指して引き退きました。


続く


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by santalab | 2016-08-11 08:56 | 太平記 | Comments(0)

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