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「太平記」大樹摂津国豊嶋河原合戦事(その3)

義貞よしさだやがて追つ懸けて、西宮に着き給へば、直義ただよしはなほ相支あひささへて、湊河に陣をぞ取られける。同じき七日の朝なぎに、遥かの沖を見渡せば、大船五百余艘よさう、順風に帆を上げて東を指して馳せたり。いづ方に付く勢にかと見るところに、二百余艘はかぢなほして兵庫の島へ漕ぎ入る。三百余艘は帆をつゐて、西宮へぞ漕ぎ寄せける。これは大伴・厚東こうとう大内おほちの介が、将軍しやうぐん方へ上りけると、伊予の土居どゐ得能とくのうが、御所方へ参りけると漕ぎ連れて、昨日までは同じみなとに泊まりたりしが、今日は両方へ引き分かれて、心々にぞ着きたりける。新手の大勢両方へ着きにければ、互ひにつはものを進めて、小清水こしみづの辺に馳せ向かふ。将軍方は目に余る程の大勢なりけれども、日頃の兵、新手にせさせんとて、いくさをせず。厚東・大伴は、またあながちに我らばかりが大事にあらずと思ひければ、さしも勇める気色きしよくもなし。




義貞(新田義貞)はすぐに追いかけて、西宮(現兵庫県西宮市)に着けば、直義(足利直義。足利尊氏の弟)はなおも支えて、湊川(現兵庫県神戸市中央区)に陣を取りました。同じ二月七日の朝なぎに、遥かの沖を見渡せば、大船五百余艘が、順風に帆を上げて東を指して急いでいました。どちらに付く勢かと見るところに、二百余艘は梶を直して兵庫の島に漕ぎ入りました。三百余艘は帆に風を受けて、西宮に漕ぎ寄せました。これは大伴・厚東・大内介(大内弘幸ひろゆき?)が、将軍(足利尊氏)方へ上るのと、伊予の土居・得能が、御所方へ参るのに漕ぎ連れて、昨日までは同じ湊に泊まっていましたが、今日は両方へ引き分かれて、心々に着いたのでした。新手の大勢両方に付いたので、互いに兵を進めて、小清水(越水城。現兵庫県西宮市にあった城)の辺に馳せ向かいました。将軍方は目に余るほどの大勢でしたが、日頃の兵は、新手に軍をさせようと、自らは軍をしませんでした。厚東・大伴は、我らばかりが軍をすることもないと思って、さして勇める様子もありませんでした。


続く


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by santalab | 2016-08-12 08:38 | 太平記 | Comments(0)

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