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「太平記」主上自山門還幸の事(その1)

去る月晦日みそか逆徒ぎやくと都を落ちしかば、二月二日主上しゆしやう自山門還幸成つて、花山院くわさんのゐんを皇居くわうきよに被成にけり。同じき八日義貞よしさだ朝臣、豊嶋てしま打出うちでの合戦に打ち勝つて、すなはち朝敵てうてきを万里の波に漂はせ、同じく降人かうにんの五刑の難を宥めて京都へかへり給ふ。事のてい由々しくぞ見へたりける。その時の降人一万余騎、皆元の笠符かさじるしの紋を書きなほして着けたりけるが、墨の濃き薄きほど見へて、露はにしるかりけるにや、その次の日、五条の辻に高札を立てて、一首の歌をぞ書きたりける。

二筋の 中の白みを 塗隠し 新田新田しげな 笠符かな




さる月の晦日(建武三年(1336)正月三十日)に逆徒(足利尊氏)が都を落ちたので、二月二日に主上(南朝初代後醍醐天皇)は山門(比叡山)から戻られて、花山院(現京都市上京区、京都御苑敷地内にあった)を皇居になさいました。同じ二月八日には義貞朝臣(新田義貞)が、豊嶋(豊島河原。現大阪府箕面市)・打出(打出浜。現兵庫県芦屋市)の合戦に打ち勝って、たちまち朝敵を万里の波に漂わせ、同じく降人の五刑([日本の律で規定された五つの刑。ぢやう)・・死])の難を宥めて京都へ帰りました。立派な采配でした。その時の降人一万騎余りは、皆もとの笠符(足利氏の紋は足利二つ引き。丸に二)を書き直して着けていましたが(新田氏の紋は新田一つ引き。丸に一)、墨の濃薄が、明らかでしたので、その次の日、五条の辻に高札が立てられて、一首の歌が書かれていました。

二筋の中の白みを塗り隠して一筋に変えて新田氏を装っているものの、その跡が明らかに見えて、思わず笑ってしまう笠符かな(新田氏の家紋は、大中黒・新田一つ引、足利氏の家紋は、足利二つ引。源義家よしいへの子、源義国よしくにの子から新田・足利に分かれた)。


続く


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by santalab | 2016-08-17 10:31 | 太平記 | Comments(0)

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