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「太平記」主上自山門還幸の事(その2)

都鄙とひ数箇度すかどの合戦のてい、君殊に叡感不浅。すなはち臨時の除目ぢもくを被行て、義貞よしさだ左近衛さこんゑ中将ちゆうじやうに被任ぜ、義助よしすけ右衛門うゑもんすけに被任けり。天下の吉凶必ずしもこれにはよらぬ事なれども、今の建武けんむの年号は公家の為不吉なりけりとて、二月二十五日に改元あつて、延元えんげんに被移。近日朝廷すでに逆臣ぎやくしんの為にかたぶけられんとせしかども、なきほど静謐せいひつしよくして、一天下いちてんがまた泰平に帰せしかば、この君の聖徳天地に叶へり。如何なる世の末までも、誰かは傾け可申と、群臣いつしかあやふきを忘れて、慎む方のなかりける、人の心ぞ愚かなる。




都鄙([都と田舎])の数箇度の合戦に打ち勝って、君(南朝初代後醍醐天皇)の叡感は決して浅いものではありませんでした。すぐに臨時の除目([大臣以外の諸官職を任命する朝廷の儀式])が行われて、義貞(新田義貞)を左近衛中将に任じ、義助(脇屋義助よしすけ。新田義貞の弟)を 右衛門佐に就けました。天下の吉凶は必ずしも年号によるものではありませんでしたが、今の建武の年号は公家にとっては不吉(武を建つ)だと、二月二十五日に改元があり、延元に改められました。日を置かず朝廷は逆臣(足利尊氏)に傾けられようとしていましたが、わずかの静謐([世の中が穏やかに治まっていること])の中にあって、天下はまた泰平に帰って、この君(後醍醐天皇)の聖徳は天地に叶うものと思えました。どんな世末までも、誰がこの御世を傾けることができるものかと、群臣はいつしか危さを忘れて、慎む者はいませんでした、人の心は愚かなものでした。


続く


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by santalab | 2016-08-20 22:22 | 太平記 | Comments(0)

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