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「太平記」賀茂神主改補事(その5)

父痛く止めて、「事の外なるわざをも計らひ給ひけるものかな。伏見の宮は春宮とうぐうに立たせ給ふべき由御沙汰あれば、その御方へまゐりてこそ、深山隠みやまがくれの老木おいきまでも、花咲く春にも逢ふべきに、行くすゑとても頼みなき帥の宮に参り仕へん事は、が為とても待るべき方やある」と言ひ留めければ、母上げにやと思ひかへす心になりにけり。滝口はかくとも知らで御簾みすの前に寄りて、月のかたぶきぬるほどを申せば、母上出で合ひて、「只今にはかに心地の例ならぬ事はんべれば、後の夕べをこそ」とまうして、御車を返してげり。帥の宮かかる事侍るとは、露も思し寄らず、さのみやと今日の頼みに昨日の憂さを替へて、度々御使ひありけるに、「思ひの外なる事候ひて、伏見の宮の御方へ参りぬ」とまうしければ、おやし避けずば、

東路あづまぢの 佐野の船橋 さのみやは 堪へては人の こひ渡るべき

と、思ひ沈ませ給ふにも、御おんいきどほりのすゑ深かりければ、帥の宮御治世ぢせいの初め、基久もとひささしたる咎はなかりしかども、勅勘をかうむり神職を解かれて、貞久さだひさに補されし。




父(基久)は強く止めて、「思いもしなかったことをするものよ。伏見宮(後の第九十三代後伏見天皇)は春宮に立たれると沙汰あれば、その御方へ参ってこそ、深山隠れの老木にも、花咲く春に逢うべくを、行く末とても頼みなき帥宮(後の第九十六代後醍醐天皇)に参って仕えて、いったい何になるというのか」と言って止めたので、母上ももっともなことと思い返しました。滝口([滝口の武士=宮中の警護にあたった武士])はそうとも知らず御簾の前に寄って、月が傾くほどになると申せば、母上が出て、「急に具合が悪くなりましたので、明日の夕べに」と申して、車を帰しました。帥宮はそのようなこととは、露も思い寄らず、ならばと今日の頼みに昨日の憂さを替えて、再び使いを遣ると、「思いもしませんでしたが、伏見宮の御方へ参ったということです」と申したので、悲しみに堪え兼ねて、

東路の佐野の船橋([船橋]=[船をたくさん浮かべて橋のかわりにしたもの]。佐野の船橋というのは、昔、烏川という川ををはさんで二つの村があり、それぞれに朝日の長者と夕日の長者が住んでいた。村人たちは二つの村の間に船橋を作って行きを来していた。朝日の長者にはなみという娘が、夕日の長者には小治朗という息子がいたが、二人はいつしか船橋を渡って会うようになった。しかしある夜船橋の真ん中の橋板が外されてしまった。何も知らない二人はそれぞれの岸から船橋を渡ろうとして、ともに川に落ちて死んでしまったという)を、やっとのことで、渡るところであったのに。

と、思い沈まれて、なお憤りは末深く、帥宮の治世の初め、基久にさして咎はありませんでしたが、勅勘を被り神職を解かれて、貞久を(賀茂社の神主職に)就けたのでした。


続く


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by santalab | 2016-09-03 08:49 | 太平記 | Comments(0)

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