人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Santa Lab's Blog


「太平記」住吉合戦の事(その6)

播磨の国住人ぢゆうにん小松原刑部左衛門は、主の三河みかはかみ討たれたる事をも不知、天神の松原まで落ち延びたりけるが、三河の守の乗り給ひたりける馬の平頚ひらくび、二太刀切られて放されたりけるを見て、「さては三河の守殿は討たれ給ひけり。落ちてはが為に命を可惜」とて、ただ一騎天神の松原より引つかへし、向かふ敵に矢二筋ふたすぢ射懸けて、腹掻き切つて死ににけり。その外のつはものども、親討たれども子は不知、主討ち死にすれども郎従らうじゆうこれを不助、物の具を脱ぎ棄て弓を杖に突いて、夜中に京へ逃げ上る。見苦しかりし有様なり。




播磨国の住人小松原刑部左衛門は、主の三河守(山名兼義かねよし。山名時氏ときうぢの弟)が討たれたのも知らず、天神(現大阪市北区にある大阪天満宮)の松原まで落ち延びましたが、三河守が乗っていた馬の平首([馬の首の側面])が、二太刀切られて放たれているのを見て、「さては三河守殿は討たれたか。落ちて誰のために命を惜しむべき」と、ただ一騎天神の松原より引き返し、向かう敵に矢を二筋射懸けて、腹を掻き切って死にました。そのほかの兵どもは、親が討たれるとも子は知らず、主が討ち死にすれども郎従([家来])は主を助けず、物の具([武具])を脱ぎ捨て弓を杖に突いて、夜中に京へ逃げ上りました。なんとも情けないことでした。


続く


by santalab | 2016-09-11 07:11 | 太平記

<< 「太平記」新田殿湊河合戦事(その3)      「太平記」住吉合戦の事(その5) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧