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「太平記」新田殿湊河合戦事(その3)

先に一軍ひといくさして引きし去りたる両方の勢ども、今はいつをか期すべきなれば、四隊の陣一処にこぞつて、敵と敵と相交あひまじはり、中黒なかぐろの旗と二引両ふたつひきりやうと、ともゑの旗と輪違わちがひと、東へ靡き西へ靡き、礒山風いそやまかぜ翩翻へんほんして、入り違ひたるばかりにて、いづれを御方の勢とは見へ分かず。新田・足利の国の争ひ今を限りとぞ見へたりける。官軍くわんぐん元来ぐわんらい小勢なれば、命をかろんじて戦ふといへども、遂には大敵に駆け負けて、残る勢わづか五千余騎、生田の森の東より丹波路たんばぢを差してぞ落ち行きける。数万の敵勝つに乗つてこれを追ふ事はなはだ急なり。されどもいつもの習ひなれば、義貞朝臣、御方の軍勢を落ち延びさせん為に後陣ごぢんに引き下がりて、かへし合はせ返し合はせ戦はれけるほどに、義貞の乗られたりける馬に矢七筋しちすぢまで立ちける間、小膝をつてたふれけり。義貞求塚もとめづかの上に下り立ちて、乗替への馬を待ち給ふとも、敢へて御方これを知らぬにけるにや、下りて乗せんとする人もなかりけり。




先に一軍して引き退いた両方の勢どもも、今をおいていつ軍をすべきと、四隊の陣が一所に群れ、敵と敵とが相交わり、大中黒(新田氏の家紋)の旗と二引両(足利氏の家紋)と、巴(宇都宮氏?)の旗と輪違い(高氏)とが、東へ靡き西へ靡き、磯山風に翩翻して、入れ違うばかりに、いずれを味方の勢とも見分けが付きませんでした。新田(新田義貞)・足利(足利尊氏)の国の争いは今を限りと見えました。官軍は元より小勢でしたので、命を軽んじて戦いましたが、遂には大敵に駆け負けて、残る勢はわずか五千余騎、生田の森(現兵庫県神戸市中央区)の東より丹波路を指して落ち行きました。数万の敵は勝つに乗ってこれを激しく追いかけました。けれどもいつもの習いなれば、義貞朝臣は、味方の軍勢を落ち延びさせるために後陣に引き下がり、返し合わせ返し合わせ戦ったので、義貞が乗った馬には矢が七筋まで立ち、小膝を折って倒れてしまいました。義貞は求塚(処女塚をとめづか。現兵庫県神戸市東灘区にある前方後円墳)の上に下り立ち、乗替えの馬を待ちましたが、まったく味方はこれに気付かなかったか、下りて馬に乗せようとする人はいませんでした。


続く


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by santalab | 2016-09-11 07:18 | 太平記 | Comments(0)

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