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「太平記」聖主又臨幸山門事(その2)

武家のともがらには、新田左中将さちゆうじやう義貞よしさだ・子息越後ゑちごかみ義顕よしあき・脇屋右衛門うゑもんすけ義助よしすけ・子息式部の大輔たいふ義治よしはる・堀口美濃の守貞満さだみつ大館おほたち左馬の助義氏よしうぢ・江田兵部ひやうぶ少輔せう行義ゆきよし額田ぬかだ掃部かもんの助正忠まさただ大江田おいだ式部の大輔氏経うぢつね・岩松兵衛蔵人義正よしまさ・鳥山左京さきやうの助氏頼うぢより羽川はねかは越中ゑつちゆうの守時房ときふさ桃井もものゐ兵庫ひやうごの助顕氏あきうぢ・里見大膳だいぜんすけ義益よします・田中修理しゆりの亮氏政うぢまさ・千葉の介貞胤さだたね・宇都宮治部ぢぶの大輔公綱きんつな・同じく美濃の将監しやうげん泰藤やすふぢ狩野かのの将監貞綱さだつな・熱田の大宮司昌能まさよし河野かうのの備後の守通治みちはる得能とくのうの備中の守通益みちます・武田の甲斐かひの守盛正もりまさ・小笠原蔵人政道まさみち仁科にしな信濃の守氏重うぢしげ春日部かすかべ治部の少輔せう時賢ときかた・名和伯耆はうきの守長年ながとし・同じく太郎判官長生ながたか・今木の新蔵人範家のりいへ頓宮とんぐう六郎ろくらう忠氏ただうぢ、これらを宗とのさぶらひとし、その勢都合つがふ六万余騎、鳳輦ほうれんの前後に打ち囲みて、今路越いまみちごえにぞ落ち行き給ひける。




武家の者どもには、新田左中将義貞(新田義貞)・子息越後守義顕(新田義顕。新田義貞の長男)・脇屋右衛門佐義助(脇屋義助。新田義貞の弟)・子息式部大輔義治(脇屋義治。脇屋義助の子)・堀口美濃守貞満(堀口貞満)・大舘左馬助義氏・江田兵部少輔行義(江田行義)・額田掃部助正忠(額田正忠)・大江田式部大輔氏経(大井田氏経)・岩松兵衛蔵人義正(岩松義政?)・鳥山左京助氏頼(鳥山氏頼)・羽川越中守時房(羽川時房)・桃井兵庫助顕氏(桃井顕氏)・里見大膳亮義益(里見義益)・田中修理亮氏政(田中氏政)・千葉介貞胤(千葉貞胤)・宇都宮治部大輔公綱(宇都宮公綱)・同じく美濃将監泰藤(宇都宮泰藤)・狩野将監貞綱・熱田大宮司昌能・河野備後守通治(河野通盛みちもり)・得能備中守通益(得能通綱みちつなと土居通増?土居通増は備中守)・武田甲斐守盛正・小笠原蔵人政道・仁科信濃守氏重(仁科重貞しげさだ?)・春日部治部少輔時賢(春日部時賢)・名和伯耆守長年(名和長年)・同じく太郎判官長生(名和長生)・今木新蔵人範家・頓宮六郎忠氏、これらを主な侍とし、その勢都合六万余騎が、鳳輦([屋根に鳳凰の飾りのある天子の車])の前後を打ち囲んで、今路越([志賀越道]=[京の七口である荒神口から、近江に至る道])を通って落ち行きました。


続く


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by santalab | 2016-09-16 07:51 | 太平記 | Comments(0)

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