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「太平記」備中福山合戦事(その2)

去るほどに、明くれば五月十五日の宵より、左馬のかみ直義なほよし三十万騎さんじふまんぎの勢にて、勢山せやまを打ち越へ、福山の麓四五里が間、数百すひやく箇所を陣に取つて、かがりを焚いてぞ居たりける。この勢を見ては、如何なる鬼神きじんともいへ、今夜落ちぬ事はよもあらじと思えけるに、城の篝も不焼止、なほこらへたりと見へければ、夜すでに明けて後、先づ備前・備中の勢ども、三千余騎にて押し寄せ、浅原峠あさはらたうげよりぞ懸かりたりける。これまでも城中鳴りを静めて音もせず。「さればこそ落ちたりと思ゆるぞ。鬨の声を上げて敵の有無いうぶも知れ」とて、三千余騎のつはものども、盾の板を叩き、鬨を作る事三声、近付きて上がらんとするところに、城中の東西の木戸口に、大鼓を打ちて鬨の声をぞ合はせたりける。余所に控えへたる寄せ手の大勢これを聞きて、「源氏の大将の籠もりたらんずる城の、小勢なればとて、聞き落ちにはよもせじと思ひつるが、果たしていまだこらへたりけるぞ。あなどつて手合はせのいくさし損ずな。四方しはうを取り巻いて同時に攻めよ」とて国々の勢一方一方を受け取つて、谷々峰々より攻め上りける。




やがて、夜が明ければ(建武三年(1336)五月十五日の宵より、左馬頭直義(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)が三十万騎の勢で、勢山(?)を打ち越へ、福山(現岡山県総社市)の麓四五里の間、数百箇所を陣に取って、篝火を焚きました。この勢を見ては、如何なる鬼神ともいえ、今夜落ちぬことはないと思われましたが、城の篝も焼き止めず、なおも堪えると見えたので、夜がすでに明けて後、まず備前・備中の勢どもが、三千余騎で押し寄せ、浅原峠(現岡山県倉敷・総社市境にある峠)より懸かりました。それでも城中は鳴りを静めて音もしませんでした。「きっと落ちたと思うぞ。鬨の声を上げて敵の有無を確かめよ」と、三千余騎の兵どもが、盾の板を叩き、鬨を作ること三声、近付いて上がろうとするところに、城中の東西の木戸口から、大鼓を打って鬨の声を合わせました。余所に控えていた寄せ手の大勢はこれを聞いて、「源氏の大将が籠もる城ぞ、小勢なればと、聞き落ちはできまいと思っていたが、果たしてまだ堪えておるぞ。侮って手合わせの軍し損ずるな。四方を取り巻いて同時に攻めよ」と国々の勢が一方一方を受け取って、谷々峰々より攻め上りました。


続く


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by santalab | 2016-09-18 09:01 | 太平記 | Comments(0)

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