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「太平記」師直師泰出家事付薬師寺遁世事(その3)

細川陸奥のかみも、三条殿の召しに依つて、大勢早や三石みついしに着いて候ふと聞こへ候へば、将軍こそ摂州せつしうの軍に負けて、赤松へ引かせ給ふと聞きて、打ち止め奉らんと思はぬ事や候ふべき。また四国へ落ちさせ給はん事も叶ふべからず。用意の舟も候はで、ここかしこの浦々にて、渡海の順風を待ちて御渡り候はんに、敵追つ懸けて寄せ候はば、誰か矢の一つをも、はかばかしく射出だす人候ふべき。御方のつはものどもの有様は、昨日の軍に曇りなく見透みとほさせ候ふものを、人に剛臆なく、気に進退ありとまうす事候ふ間、人の心の習ひ、敵に打ち懸からんとする時は、心たけくなり、一足も引くとなれば、心臆病おくびやうになるものにて候ふ。ただ御方の勢のいまだかぬ先に、ひたすら討ち死にと思し召し定めて、一度敵に懸かりて御覧候ふより外は、余義よぎあるべしとも思え候はず」と、言葉を残さで申しけれども、執事兄弟ただ曚々もうもうとしたるばかりにて、降参出家の儀に落ち伏しければ、公義涙をはらはらと流して、「嗚呼ああ豎子じゆし不堪倶計と、范増はんぞうが言ひけるもことわりかな。運尽きぬる人の有様ほど、浅ましきものはなかりけり。我この人と死を共にしても、何の高名かあるべき。しかじ憂き世を捨てて、この人々の後生ごしやうとぶらはんには」と、にはかに思ひ定めて、

取ればうし 取らねば人の 数ならず 捨つべき物は 弓矢なりけり

と、かやうに詠じつつ、みづかもとどり押し切りて、墨染めに身を替へて、高野山へぞ上りける。




細川陸奥守(細川顕氏あきうぢ)も、三条殿(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)の召しによって、大勢ではや三石(現岡山県備前市)に着いたと聞こえておりますが、「将軍(足利尊氏)が摂州の軍に負けて、赤松(現兵庫県赤穂郡上郡町)へ引かれたと聞けば、打ち止めようと思わぬことがありましょうや。また四国に落ちることも敵いますまい。用意の舟もなく、ここかしこの浦々にて、渡海の順風を待って渡ろうとしたところで、敵が追いかけて寄せたなら、誰か矢の一つをも、射るものがおりましょうや。味方の兵どもの有様は、昨日の軍に曇りなく見通すことができました、人に剛臆([剛勇と臆病])なく、気に進退(積極的と消極的)があるのみと申します、人の心の習い、敵に打ち懸かろうとする時は、心は猛くなり、一足も引くとなれば、心は臆病になるもの。ただ味方の勢がいまだ減らぬ前に、ひたすら討ち死にと思い定められて、一度敵に懸かってみられるほかは、余義があるとも思われません」と、言葉も余さず申しましたが、執事兄弟(高師直もろなほ師泰もろやす)はただ曚々([心がぼんやりとしている様])とするばかりで、降参出家に従ったので、公義は涙をはらはらと流して、「ああ豎子([年若い者や未熟な者をさげすんでいう語])と相談するのは無益である(『豎子与に謀るに足らず』)と、范増(秦末期の楚の軍師)が申したのも理かな。運が尽きた人の姿ほど、嘆かわしいものはない。この人(足利直義)と死をともにしても、何の高名があろう。憂き世を捨てて、この人々の後生を弔うに優るものはない」と、にわかに思い定めて、

弓矢を取って戦えばいずれ死ぬことになると思えば嘆かわしいことよ、とはいえ取らねば人の数にも入らぬ。ならば弓矢を捨てて出家するほかない。

と、かように詠じつつ、自ら髻を切り、墨染めに身を替えて、高野山に上りました。


続く


by santalab | 2016-09-20 10:37 | 太平記

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