三間の茅屋千株の松風、殊に人間の外の天地なりけりと、心も澄み身も安く思へければ、
高野山 憂き世の夢も 覚めぬべし その暁を 松の嵐に
と詠みて、しばしは閑居
幽隠の人とぞなりたりける。仏種は縁より起こる事なれば、かやうについでを以つて、浮世を思ひ捨てたるは、やさしく優なる様なれども、
越後の
中太が
義仲を諌めかねて、自害をしたりしには、無下に劣りてぞ思えたる。
三間の茅屋に千株の松風、殊更人間界のほかの天地であると、心も澄み身も安く思われて、
高野山に来て憂き世の夢が覚めた。松に吹く嵐風を聞いてその暁([待ち望んでいたことが実現する])を知る。
と詠んで、(薬師寺
公義は)しばらく閑居幽隠の人となりました。仏種([仏となるための
種子=唯識、人間の心の根元である
阿頼耶識の中にあって、あらゆる現象を生じさせる原因。仏性])は縁より起こるものなれば、こうして機会を得て、浮世を捨てたのは、優れた行いでしたが、越後中太(越後
家光。木曽義仲の家人)が義仲を諌めかねて、自害をしたには、劣っているように思われました。
(続く)