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「太平記」備中福山合戦事(その5)

当国の吉備津宮きびつのみやに参詣の心ざしをはしけれども、合戦の最中なれば、触穢しよくゑの憚りありとて、ただ願書ぐわんじよばかりを籠めて、次の日唐川を立ち給へば、将軍も船を出だされて、順風に帆をぞ上げられける。五月十八日晩景ばんげいに、脇屋右衛門うゑもんすけ三石みついしより使者を以つて、新田左中将さちゆうじやうの方へ立て、福山の合戦の次第、委細ゐさいに註進せられければ、その使者やがて馳せかへつて、「白旗しらはた・三石・菩提寺の城いまだ攻め落とさざるところに、尊氏・直義ただよし大勢にて舟路ふなぢ陸路くがぢとより上ると言ふに、もしくがの敵を支へん為に、当国にて相待たば、舟路の敵差し違ひて帝都ををかさん事疑ひなし。すみやかに西国の合戦を打ち捨てて、摂津の国辺まで引き退き、水陸すゐろくの敵を一所に待ち受け、帝都を後ろに当てて、合戦を致すべく候ふ。急ぎそれよりも山の里辺へ出で合はれ候へ。美作へもこの旨を申し遣はし候ひつるなり」とぞ、仰されたりける。これによつて五月十八日の夜半ばかりに、官軍くわんぐん皆三石を打ち捨てて、舟坂をぞ引かれける。




(足利直義ただよしは)当国の吉備津宮(現岡山県岡山市北区にある吉備津神社)に参詣したいと思っていましたが、合戦の最中でしたので、触穢の憚りありと、ただ願書ばかりを籠めて、次の日唐川(現岡山県岡山市北区)を立つと、将軍(足利尊氏)も船を出して、順風に帆を上げました。五月十八日の晩景に、脇屋右衛門佐(脇屋義助よしすけ。新田義貞の弟)は三石(現岡山県備前市)より使者を、新田左中将(新田義貞)の方へ立て、福山(現岡山県総社市)の合戦の次第を、詳しく注進([事件を書き記して上申すること])すると、使者はすぐに馳せ帰って、「白旗(現兵庫県赤穂郡上郡町にあった城)・三石(現岡山県備前市)・菩提寺(現岡山県勝田郡奈義町)の城をいまだ攻め落とせぬところに、尊氏・直義が大勢で船路と陸路より上ると聞く、もし陸の敵を防ぐために、当国にて待てば、船路の敵は取り合わず帝都を攻めるであろう。すみやかに西国の合戦を打ち捨てて、摂津国辺まで引き退き、水陸の敵を一所に待ち受け、帝都を後ろに当てて、合戦を致すべき。急ぎそこから山の里(広山里?現兵庫県揖保郡)辺へ出て来られよ。美作へもこの旨を申し遣はし候ひつるなり」と、命じました。こうして五月十八日の夜半ばかりに、官軍は皆三石を打ち捨てて、船坂(現岡山・兵庫県境にある峠)を引きました。


続く


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by santalab | 2016-09-22 09:03 | 太平記 | Comments(0)

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