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「太平記」師冬自害事付諏方五郎事(その1)

かうの播磨のかみ師直もろなほ猶子いうしなりしを、将軍の三男左馬のかみ殿の執事になして、鎌倉へ下りしかば、上杉民部の大輔たいふ相共あひともに東国の管領くわんれいにて、いきほひ八箇国に振るへり。西国こそかやうに師直を背く者多くとも、東国はよも子細あらじ、事のまことに難儀ならば、兵庫より船に乗つて、鎌倉へ下りて師冬もろふゆと一つにならんと、執事兄弟密かに評定ありけるところに、二十五日の夜半ばかりに、甲斐かひの国より時衆じしゆう一人来て、忍びやかに、「去年の十二月に、上杉民部の大輔たいふが養子に、左衛門さゑもん蔵人くらんど、父が代官にて上野かうづけの守護にて候ひしが、謀反を起こして鎌倉殿方を仕る由聞こへしかば、父民部の大輔これを誅伐のため下向の由を称して、上野に下着、すなはち左衛門の蔵人と同心して、武蔵の国へ打ち越へ、坂東の八平氏武蔵の七党しちたうを付け従ふ」。




高播磨守(高師冬もろふゆ。高師行もろゆきの子で、師直の猶子)は師直(高師直)の猶子でしたが、将軍(足利尊氏)の三男左馬頭殿(足利基氏もとうぢ。足利尊氏の四男)の執事になして、鎌倉へ下したので、上杉民部大輔(上杉憲顕のりあき)とともに関東管領([南北朝時代から室町時代に、室町幕府が設置した鎌倉府の長官])として、勢いを八箇国に振るいました。西国こそこうして師直を背く者多くとも、東国はよもや心配なかろう、事がまこと難儀になれば、兵庫より船に乗って、鎌倉へ下り師冬と一つになろうと、執事兄弟(高師直もろなほ師泰もろやす)が密かに話しているところに、(正平六年(1351)一月)二十五日の夜半ばかりに、甲斐国より時衆([時宗の僧俗])が一人訪ね来て、忍びやかに、「去年の十二月に、上杉民部大輔(上杉憲顕のりあき。初代関東管領)の養子、左衛門蔵人(上杉憲顕よしのり。ただし、能憲は憲顕の実子)は、父の代官として上野守護でございましたが、謀反を起こして鎌倉殿(足利直義ただよし)方に付いたと聞こえたので、父民部大輔は誅伐のための下向と称して、上野に下着、たちまち左衛門蔵人と同心して、武蔵国へ打ち越へ、坂東の八平氏武蔵七党を味方に付けております」。


続く


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by santalab | 2016-09-22 09:13 | 太平記 | Comments(0)

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