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「太平記」備中福山合戦事(その7)

ここにて人にたづぬれば、「脇屋殿は早やよひに播磨へ引かせ給ひて候ふなり」と申しける間、さては舟坂をばとほり得じとて、先日搦め手のまはりたりし三石みついしの南の山路やまぢを、たどるたどる夜もすがら越えて、坂越さごしの浦へぞ出でたりける。夜いまだ深かりければ、このまま少しの逗留とうりうもなくて打つて通らば、 新田殿には安く追つ着き奉るべかりけるを、子息高徳たかのりが先のいくさに負うたりける疵、いまだ愈えざりけるが、馬に振られけるに依つて、目くらく肝消して、馬にもたまらざりける間、坂越の辺に相知あひしつたる僧のありけるをたづね出だして、あづけ置きけるほどに、時刻押し遷りければ、五月さつきの短か夜明けにけり。




ここで人に訊ねると、「脇屋殿(脇屋義助よしすけ。新田義貞の弟)はすでに宵に播磨に引き退かれました」と申したので、さては船坂(現岡山・兵庫県境にある峠)は通れまいと、先日搦め手が迂回した三石(現岡山県備前市)の南の山路を、たどるたどる夜もすがら越えて、坂越の浦(現兵庫県赤穂市)に出ました。夜はまだ深かったので、このまま少しも逗留せず打って通れば、新田殿(新田義貞)には容易く追い付くことができましたが、子息高徳(児島高徳)が先の軍で負った疵が、まだ愈えていませんでしたので、馬に揺られて、目は眩み肝は消えて、馬に乗っていられなくなりました、坂越の辺に知った僧がいたので尋ね出して、預け置くほどに、時刻は押し移って、五月の短か夜は明けました。


続く


by santalab | 2016-09-24 08:55 | 太平記

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