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「太平記」師直以下被誅事付仁義血気勇者の事(その1)

同じき二十六日にじふろくにちに、将軍すでに御合体がつていにて上洛しやうらくし給へば、執事兄弟も、同じき遁世者に打ち紛れて、無常のちまたむちを打つ。折節春雨しめやかに降りて、数万すまんの敵ここかしこに控へたる中を打ち通れば、それよと人に被見知じと、はすの葉笠を打ちかたぶけ、袖にて顔を引き隠せども、中々紛れぬあめが下、身のせばきほどこそ哀れなれ。将軍に離れ奉ては、道にてもいかなる事かあらんずらんと危ぶみて少しも下がらず、馬を早めて打ちけるを、上杉・畠山のつはものども、兼ねて儀したる事なれば、路の両方に百騎、二百騎、五十騎、三十騎、処々に控へて待ちける者ども、すはや執事よと見てければ、将軍と執事とのあはいを次第に隔てんと鷹角たかづの一揆七十しちじふ余騎、会尺色代ゑしやくしきたいもなく、馬を中へ打ち込み打ち込みしけるほどに、心ならず押し隔てられて、武庫川の辺を過ぎける時は、将軍と執事との間、河を隔て山を阻てて、五十町許りに成りにけり。哀れなるかな、盛衰せいすゐ刹那せつなの間に替はれる事、修羅しゆら帝釈の軍に負けて、藕花ぐうげの穴に身を隠し、天人の五衰ごすゐの日に逢ひて、歓喜苑くわんぎゑんに彷徨ふらんもかくやと被思知たり。




同じ(正平六年(1351)一月)二十六日に、将軍(足利尊氏)が(畠山国清くにきよと)合体して上洛したので、執事兄弟(高師直もろなほ師泰もろやす)も、同じく遁世者に紛れて、無常の岐([路地])に鞭を打ちました。折節春雨がしめやかに降って、数万の敵がここかしこに控待ち構える中を打ち通ったので、あれよと人に見知られまいと、蓮葉笠を傾け、袖で顔を隠しましたが、天下に隠れる所なく、肩身の狭さは哀れでした。将軍(足利尊氏)に離れては、道中でいかなる事があるかと危ぶんで少しも下がらず、馬を早めて鞭を打ちましたが、上杉(上杉憲顕のりあき)・畠山(畠山国清くにきよ)の兵どもは、かねて通じていましたので、路の両方に百騎、二百騎、五十騎、三十騎、処々に控えて待ち構えていた者どもは、執事(高師直)と見れば、将軍と執事(高師直)との間を次第に隔てようと鷹角一揆七十余騎が、会尺色代([挨拶])もなく、馬を中へ割り込ませたので、心ならずも押し隔てられて、武庫川の辺を過ぎる時には、将軍と執事との間、川(武庫川)を隔て山を阻てて、五十町ばかりになりました。哀れなことでした、盛衰が刹那([一瞬])の間に替わる様は、修羅が帝釈との軍に負けて、藕花([蓮の花])の穴に身を隠し、天人が五衰([天人の死に際して現れるという五種の衰えの相])の日を迎えて、歓喜苑([帝釈天の宮殿である善見城の北にある庭園。この庭園に入る人は皆、歓喜の心を生ずるという])に彷徨うもこのようなものかと思い知られるのでした。


続く


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by santalab | 2016-09-26 11:32 | 太平記 | Comments(0)

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