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「太平記」備中福山合戦事(その10)

その後若党四人続きて自害をしけるに、備後の守が従兄弟に和田にぎた四郎範家のりいへと言ふ者、しばらく思案しけるは、敵をば一人も滅ぼしたるこそ後までの忠なれ。追ひ手の敵もし赤松が一族子どもにてやあるらん。さもあらば引つ組んで、差し違へんずるものをと思ひて、刀を抜いて逆手さかてに握り、兜を枕にして、自害したるていに見へてぞ臥したりける。ここへ追ひ手懸かりける赤松が勢の大将には、宇の弥左衛門次郎重氏しげうぢとて、和田にぎたが親類なりけり。まさしきに辻堂の庭へ馳せ来たつて、自害したる敵の首を捕らんとて、これを見るに袖に付けたる笠符かさじるし下黒すそぐろもんなり。重氏抜きたる太刀を投げて、「あら浅ましや、たれやらんと思ひたれば、児嶋・和田・今木の人々にてありけるぞや。この人たちとく知るならば、命に替へても助くべかりつるものを」と悲しみて、涙を流して立ちたりける。和田四郎この声を聞きて、「範家のりいへここにあり」とて、かはと起きたれば、重氏肝をつぶしながら立ち寄りて、「こはいかに」とぞ悦びける。やがて和田四郎をば同道して助け置き、備後の守をば、葬礼懇ろに取り沙汰して、遺骨ゆゐこつ故郷こきやうへぞ送りける。さても八十三騎は討たれて範家一人助かりける、運命のほどこそ不思議なれ。




その後若党四人が続いて自害しましたが、備後守(児島範長のりなが)の従兄弟に和田四郎範家(松崎範家?)と言う者は、しばらく思案して、敵を一人でも滅ぼしてこそ後までの忠である。追っ手の敵はもしや赤松(赤松則村のりむら)の一族子どもであろう。そうならば、引っ組んで、刺し違えてやろうと思って、刀を抜いて逆手に握り、兜を枕にして、自害したように見せかけて臥していました。ここに追っ手として懸かる赤松(則村)の勢の大将は、宇弥左衛門次郎重氏と言って、和田の親類でした。まっすぐに辻堂の庭へ馳せ来て、自害した敵の首を捕ろうと、これを見れば袖に付けた笠符は皆裾黒の紋でした。重氏は抜いた太刀を投げて、「なんということだ、誰かと思えば、児嶋・和田・今木の人々ではないか。この人たちと先に知っておれば、命に替えても助けたものを」と悲しんで、涙を流して立っていました。和田四郎はこの声を聞いて、「範家はここにおるぞ」と言って、がばと起きたので、重氏は肝をつぶしながら立ち寄って、「これはなんとことか」とよろこびました。やがて和田四郎を同道して助け置き、備後守(児島範長)の、葬礼を懇ろに執り行い、遺骨を故郷に送りました。それにしても八十三騎が討たれて範家一人が助かった、運命のほどこそ不思議なものでした。


続く


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by santalab | 2016-09-28 10:19 | 太平記 | Comments(0)

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