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「太平記」正成下向兵庫事(その3)

正成兵庫に着きければ、新田左中将さちゆうじやうやがて対面し給ひて、叡慮の趣きをぞ尋ね問はれける。正成畏つて、所存のとほりと勅定ちよくぢやうやうとを、くはしく語り申しければ、「まことに敗軍の小勢を以つて、機を得たる大敵に戦はん事敵ふべきにてはなけれども、去年関東くわんとうの合戦に打ち負けて上洛しやうらくせし時、路にてなほ支へざりし事、人口のあざけり遁るる時を得ず。それこそあらめ、今度西国へ下されて、数箇所すかしよの城郭一つも落とし得ずして、
結句けつく敵の大勢なるを聞きて、一支へもせず京都まで遠引きしたらんは、あまりに言ふ甲斐なしと存ずる間、戦ひの勝負をば見ずして、ただ一戦に義を勧めばやと存ずるばかりなり」とのたまひければ、正成重ねて申しけるは、「『衆愚しゆぐ愕々がくがくたるは、不如一賢之唯々』と申し候へば、道を知らぬ人のそしりをば、必ずしも御心に懸けらるまじきにて候ふ。ただ戦うべき所を見て進み、敵ふまじき時を知つて退くをこそ良将とは申し候ふなれ。さてこそ『暴虎憑河而死無悔之者不与』と、孔子も子路しろを誡められる事の候ふ。そのうへ元弘の初めには平太守へいたいしゆの威猛を一時に砕かれ、この年の春は尊氏の逆徒を九州へ退けられ候ひし事、聖運とは申しながら、ひとへに御計略の武徳に依りし事にて候へば、合戦の道に於いては誰かさみし申し候ふべき。殊更今度西国より御上洛しやうらくの事、御沙汰の次第、一々に道に当たつてこそ存じ候へ」と申しければ、義貞よしさだ朝臣まことに顔色がんしよく解けて、夜もすがらの物語に、数盃すはいの興をぞ添へられける。後に思ひ合はすれば、これを正成が最後なりけりと、あはれなりしことどもなり。




正成(楠木正成)が兵庫(現兵庫県神戸市兵庫区)に着くと、新田左中将(新田義貞)がすぐに対面して、叡慮の趣きを訊ねました。正成は畏って、所存([考え])のあらましと勅定の事項を、詳しく語ると、「まこと敗軍の小勢をもって、時を得た大敵と戦えば敵うとも思えないが、去年関東の合戦に打ち負けて上洛した時、道中でさえ防げなかったこと、人口の嘲りを遁れることはなかった。そればかりか、この度西国へ下されて、数箇所の城郭を一つも落とせず、結果敵が大勢であることを聞いて、一支えもせず京都まで遠引きすれば、あまりにも情けないことと思い、戦いの勝負は置いて、ただ一戦に義を致そうと思うばかりよ」と申せば、正成が重ねて申すには、「『愚かな衆どもが愕々([遠慮せずに正しいと思うことを述べたてる様])したところで、一賢の唯々([さからわないで他人の言うままになる様])には及びませぬ』と申しますれば、道を知らぬ人の誹りを、お心に懸けることはございません。ただ戦うべきところを見て進み、敵うまじき時を知って退くをこそ良将と申します。さすれば『暴虎憑河而死無悔之者不与([無謀にも虎と戦い大河を渡り、死んでも後悔しないような者には与みしない])』と、孔子も子路(孔門十哲の一人)を諌めたといいます(子路は武勇を好み、軽率なところがあったらしい。結句、衛の高官であった子路は、反乱で落命したそうな)。その上元弘の初めには平太守(鎌倉幕府第十四代執権、北条高時たかとき。太守=国主)の威猛を一時に砕かれ、この年の春は尊氏の逆徒を九州へ退けられたのも、聖運とは申しながら、ひとえに計略の武徳に依るものでございますれば、合戦の道においては誰が褊み([見下す])申すことがございましょう。とりわけこの度西国より上洛されたこと、ご沙汰の次第、一々に道理に外れてはおりませぬ」と申せば、義貞朝臣はまことうれしそうな表情を浮かべ、夜もすがらの物語に、数盃の興を添えられました。後に思い合わせれば、これが正成の最後であったと思えば、哀れなことでした。


続く


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by santalab | 2016-10-04 07:08 | 太平記 | Comments(0)

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