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「明徳記」巻第中(その2)

また大足次郎左衛門じよう、土屋党を引き選つて、仁和寺を打ち通つて、大将軍の堂の鳥居の前へ、打つて出だすべしと定めたりける兵ども、播磨守見え給はざりければ、兼ねての評定相違して、ただ茫然として控へたりける所に、大宮の合戦、味方打ち負けぬと思えて、鬨の声南へ靡き分けて、次第に幽かになり行きければ、皆手に汗を握り、固唾を呑んでありけるが、上総介修理すけが下部、二三人走り来て申しけるは、「大宮の合戦、味方打ち負けて、上総介殿小林修理亮殿を始めとして、二条大宮の一番勢、残り少なに討たれさせ給へて侍るなり。定めてはや、大将二人も、御討ち死にとこそ存じ候へ。我らていの者どもは、一人も残らず逃げ散り候ふほどに、跡の事は分明ならず候ふ」。「されば治定討たれ給ひて候ふものを、などや斯様に延び延びにて御渡り候ふぞ」と申しければ、いよいよ軍勢あきれたる所に、播磨守主従五騎にて馳せ来たる。これを見て兵ども、少し色を直しけり。




また大足次郎左衛門尉が、土屋党を引き選って、仁和寺(現京都市右京区にある寺院)を打ち通って、大将軍堂(現京都市上京区にある大将軍八神社)の鳥居の前へ、打って出よと命じていた兵どもも、播磨守(山名満幸みつゆき。山名時氏ときうぢの孫)がいなかったので、かねての評定と相違して、ただ茫然として控えていましたが、大宮の合戦に、味方が打ち負けたと思えて、鬨の声が南へ靡き分かたかと思えば、次第にかすかになりました、皆手に汗を握り、固唾を呑んで成り行きを見守っていましたが、上総介(山名義数よしかず?山名時氏の子)修理亮(小林義繁よししげ?山名時氏の子である山名氏清うぢきよの家臣)の下部([武士の下位の者])が、二三人走り来て申すには、「大宮の合戦に、味方が打ち負けて、上総介殿小林修理亮殿(小林義繁)をはじめとして、二条大宮の一番勢は、残り少なに討たれました。おそらくすでに、大将二人も、討ち死にされておられるでしょう。我らほどの者は、一人も残らず逃げ散りましたので、後のことは分かりかねます」。「大将が討たれたのならどうして一所に討たれなかったのか、何故ここまで逃げて来たのだ」と申したので、ますます軍勢はあきれ返るところに、播磨守(山名満幸)主従五騎で馳せて来ました。これを見て兵どもは、少し勢いを取り戻しました。


続く


by santalab | 2016-10-04 09:30 | 明徳記

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