同じき九月三日は故伏見の院の御忌日なりしかば、かの御仏事殊更故院の御旧迹にて、執り行はせ給はん為に、持明院上皇伏見殿へ御幸なる。この離宮はさしも紫楼紺殿を彩り、奇樹怪石を集めて、見所ありし栖遅なれども、旧主去座を、年久しく成りぬれば、見しにも非ず荒れ果てて、一叢薄の野と成つて、鶉の床も露滋く、八重葎のみ門を閉ぢて、荻吹き荒む軒端の風、苔もり兼ぬる板間の月、昔の秋を思ひ出でて今の泪をぞ催しける。毎物曳愁添悲秋の気色、光陰不待人無常迅速なる理、貴きも賎しきも皆古に成りぬる哀れさを、導師富楼那の弁舌を借つて数刻宣説し給へば、上皇を奉始旧臣老儒悉く直衣・束帯の袖を絞る計りにぞ見へたりける。種々の御追善端多くして、秋の日無程昏れ果てぬ。可憐九月初三の夜の月、出づる雲間に影消えて、虚穹に落つる雁の声、伏見の小田も物すごく、彼方人の夕べと、動き静まるほどにも成りしかば、松明を秉つて還御なる。夜はさしも深けざるに、御車東洞院を上りに、五条辺りを過ぎさせ給ふ。
同じ(暦応五年(1342))九月三日は故伏見院の忌日でしたので、かの仏事を格別に故院の旧迹で、
執り行うために、持明院上皇(北朝初代光厳院)は伏見殿(現京都市伏見区にあった)へ御幸になられました。この離宮は紫楼紺殿を飾り、奇樹怪石を集めて、見所ある栖遅([世俗を離れた住みか])でしたが、旧主が去って、年久しくなり、見たこともないほどに荒れ果てて、一叢薄の野となって、鶉の床([むさくるしい寝所のたとえ])に露滋く、八重葎([雑草が幾重にも生い茂っている草叢])が門を閉じて、荻に軒端の風が吹き荒び([風が激しく吹く。吹き荒れる])、苔に覆われた([もる]=[摘む])板間の月に、昔の秋を思い出されて涙を催されました。物毎に愁いを誘い悲しみ添う秋の折節、光陰([時間])は人を待つことな無常にもあっという間に過ぎる道理、貴きも賎しきも皆過去の人になる哀れさを、導師が富楼那(釈迦十大弟子の一人。説法第一)の弁舌を借って数刻宣説すれば、上皇をはじめ旧臣老儒残らず直衣・束帯の袖を絞るばかりに見えました。種々の追善の端々多くして、秋の日はほどなく暮れ果てました。憐れなるかな九月三日の夜の月は、雲間に影光消えて、虚穹(山裾)に飛び去る雁の声、伏見の小田も物寂しくなり、彼方人([遠くにいる人。向こうにいる人])の夕べかなと、静まり返るほどになってから、松明を点けて還御されました。夜がさほど更けぬ頃、車は東洞院を上りに、五条辺りを過ぎました。
(続く)