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「太平記」小清水合戦の事付瑞夢の事(その4)

梶原かぢはら孫六・同じく弾正だんじやうの忠二人ににんは追ふ手の勢の中にあつて、心ならず御方に被引立六七町ろくしちちやう落ちたりけるが、後代の名をや恥ぢたりけん、ただ二騎引つ返して大勢の中へ懸け入る。しばしがほどは二人ににん一所にて戦ひけるが、後には別々に成つて、ただ命を限りとぞ戦ひける。孫六は敵三騎切つて落として、裏へつと懸け抜けたるに、続く御方もなく、また見とがむる敵もなかりければ、紛れて助からんよと思ひて、笠符かさじるしを取つて袖の下にをさめ、西宮へ打ち通つて、夜に入りければ、小船に乗つて将軍の陣へぞ参りける。弾正の忠は偏へに敵に紛れもせず、懸け入つては戦ひ戦ひ、七八度まで馬烟うまけぶりを立てて戦ひけるが、藤田小次郎と猪股ゐのまた弾正左衛門だんじやうざゑもんと、二騎に被取篭討たれにけり。後に、「あはれかうの者や、誰と云ふやらん。名字を知らばや」とてこれを見るに、梅花を一枝いつし折つてえびらの上に著けたり。さては元暦のいにしへ、一の谷の合戦に、二度の懸けして名を揚げし梶原平三へいざう景時かげときが、その末にてぞあるらんと、名乗らで名をぞ被知ける。




梶原孫六・同じく弾正忠二人は大手([敵を表門または正面から攻める軍隊])の勢の中にいましたが、心ならずも味方に引き立てられて六七町落ちましたが、後代の名を恥じたのか、ただ二騎引き返して大勢の中へ駆け入りました。しばらくは二人は一所で戦っていましたが、後には別々になって、ただ命を限りと戦いました。孫六は敵三騎斬って落として、裏へさっと駆け抜けると、続く味方もなく、また敵と見る者もいなかったので、紛れて助かろうと思い、笠符を取って袖の下に隠し、西宮(現兵庫県西宮市)を通って、夜に入ると、小船に乗って将軍(足利尊氏)の陣へと参りました。弾正忠はひたすら敵に紛れもせず、駆け入っては戦い戦い、七八度まで馬煙を立てて戦いましたが、藤田小次郎と猪股弾正左衛門の、二騎に取り籠められて討たれました。後に、「なんと剛の者よ、誰なのか。名を何という」とこれを見れば、梅花を一枝折って箙([矢を入れて肩や腰に掛け、携帯する容器])の上に付けていました。さては元暦の昔、一の谷の合戦、二度駆けして名を上げた梶原平三景時(梶原景時)の、その子孫であろうと、名乗ることなく名を知られたのでした。


続く


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by santalab | 2016-10-15 08:36 | 太平記 | Comments(0)

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