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「太平記」小清水合戦の事付瑞夢の事(その5)

薬師寺次郎左衛門じらうざゑもん公義きんよしは御方の追ふ手搦め手二万余騎、くづれ懸けて引けども少しも不騒、二百五十騎にひやくごじつきの勢にて、石堂・上杉が七百余騎の勢を山際やまぎはまで捲くり付けて、続く御方を待つ処に、一騎も控へたる兵なければ、また浪打ち際に控へて居たるに、石堂・畠山が大勢ども、「手著けたるはたは薬師寺と見るぞ、一人も余すな」とて追ひ懸けたり。公義が二百五十騎、敵後に近付けば、一度に馬をきつと引つ返して戦ひ、敵先をさへぎれば、一同にわつとをめいて懸け破り、打出うちでの浜の東より御景みかげの浜の松原まで、十六度じふろくどまで返して戦ひけるに、あるひは討たれあるひは敵に被懸散、一所に控へたる勢とては、弾正左衛門だんじやうざゑもん義冬よしふゆ勘解由左衛門かげゆざゑもん義治よしはる、已上六騎に成りにけり。つはものども暫く馬の息を継がせてかたはらを屹と見たるに、輪違わちがひの笠符かさじるし著けたる武者一騎、馬を白砂に馳せ通して、敵七騎に被取篭たり。弾正左衛門義冬これを見て、「これは松田左近の将監しやうげんと思ゆる。目の前にて討たるる御方を不助云ふ事やあるべき」とて、六騎抜き連れて懸ければ、七騎の敵引き退きて松田は命を助かりてげり。




薬師寺次郎左衛門公義(薬師寺公義)は味方の大手搦め手二万余騎が、崩れ懸けて引くとも少しも騒がず、二百五十騎の勢で、石塔(石塔頼房よりふさ)・上杉(上杉憲顕のりあき)の七百余騎の勢を山際まで捲くって、続く味方を待ちましたが、一騎も控える兵はなく、また浪打ち際に控えるところに、石塔(頼房)・畠山(畠山国清くにきよ)の大勢どもが、「手を付けた旗は薬師寺(公義)ではないか。一人も余すな」と申して追い駆けました。公義の二百五十騎は、敵が背後に近付くと、一度に馬を引き返して戦い、敵が前を遮れば、一同にわっと喚いて駆け破り、打出浜(現兵庫県芦屋市)の東より御景浜(現兵庫県神戸市東灘区)の松原まで、十六度まで返して戦いました、ある者は討たれある者は敵に駆け散らされて、一所に控える勢は、弾正左衛門義冬・勘解由左衛門義治、以上六騎になっていました。兵どもにしばらく馬の息を継がせて傍らを見れば、輪違い(花輪違い。高氏の紋)の笠符を付けた武者が一騎、馬を白砂に馳せ通して、敵七騎に取り籠められていました。弾正左衛門義冬はこれを見て、「これは松田左近将監と思われるぞ。目の前にて討たれる味方を助けなくてどうする」と申して、六騎抜き連れて駆けたので、七騎の敵は引き退いて松田は命を助かりました。


続く


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by santalab | 2016-10-16 09:20 | 太平記 | Comments(0)

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