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「太平記」松岡の城周章の事(その3)

厩侍むまやざぶらひには、赤松信濃のかみ範資のりすけ上坐じやうざして、一族若党わかたう三十二人さんじふににん、膝を屈して並居なみゐたりけるが、「いざや最後の酒盛して、自害の思ひ差しせん」とて、大きなる酒樽に酒をたたへ、銚子てうしさかづき取りへて、家城やぎ源十郎師政もろまさ酌を取る。信濃の守の次男信濃五郎直頼なほよりが、この年十三にて内にありけるを、父呼出し、「『鳥之将死其鳴也哀とりのまさにしなんとするときそのなくやかなし人之将死其言也善ひとのまさにしなんとするときそのいふやよし』と云へり。我が一言汝が耳に留まらば、庭訓ていきんを不忘、身を慎しみて先祖を恥ぢしむる事なかるべし。将軍已に御自害あらんずる間、範資のりすけも御供申さんずるなり。日来の好みを思はば家の子若党わかたうどもも、皆我と共に無力死におもむかんとぞ思ひ定めたるらん。ただし汝は未だ幼少なり。今ともに腹を不切とも、人強ちに指を指す事あるまじ。則祐そくいう已に汝を猶子いうしにすべき由、兼ねて約束ありしかば、赤松へ帰つて則祐をまことの父と憑みて、生涯をその安否に任するか、不然はまた僧法師にもなりて、我が後生をもとぶらひ汝が身をも助かるべし」と、泣く泣く庭訓を残して涙を押しのごへば、座中の人々げにもと、同じく涙を流しけれ。




厩侍([鎌倉・室町時代、武家の邸内に設けられた厩番の詰め所])には、赤松信濃守範資(赤松範資。赤松則村のりむらの嫡男)が上座して、一族若党三十二人が、膝をかがめて並んで座していました、(赤松範資は)「さあ最後の酒盛して、自害の思い差し([この人と思う人に杯を差すこと])をしようではないか」と申して、大きな酒樽に酒を湛え、銚子に盃を取り添えたので、家城源十郎師政が酌を取りました。信濃守(赤松範資)の次男信濃五郎直頼(赤松直頼)は、この年十三で内にいましたが、父は呼出して、「『鳥が死にぎわに鳴く声は哀しいもの。人が死を前にして言う言葉こそ真実である』(『論語』)と言う。わしの一言がお主の耳に留まるならば、庭訓([家庭での教訓])を忘れず、身を慎しみ先祖の恥になるようなことをなすでない。将軍(足利尊氏)はすでにご自害に及ぼうとしておられる、この範資もお供しようと思うておる。日来の好みを思えば家の子([一族])若党どもも、皆我とともに逃れられぬ死に赴こうと覚悟を決めておるであろう。ただしお主はまだ幼少である。今ともに腹を切らずとも、人が強く非難することはなかろう。則祐(赤松則祐のりすけ。赤松範資の弟)がお主を猶子にすると、かねて約束しておる、赤松(現兵庫県赤穂郡上郡町)に帰って則祐をまことの父と頼み、生涯を則祐に任せるか、しからずばまた僧法師にもなって、わしの後生をも弔いお主の身をも助けよ」と、泣く泣く庭訓を残して涙を押し拭ったので、座中の人々も、同じく涙を流しました。


続く


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by santalab | 2016-10-21 10:51 | 太平記 | Comments(0)

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