Santa Lab's Blog


「太平記」将軍親子御退失事付井原石窟事(その4)

また我がてう朱雀院しゆしやくゐんの御宇に、金銅こんどう四天王してんわうを天台山に安置あんぢし奉て、将門まさかどを亡されぬ。聖徳太子しやうとくたいし昆沙門の像を刻みて、兜の真つかふに戴いて、守屋もりや逆臣げきしんを誅せらる。これらの奇特きどく世の知る処、人のあふぐ処にて候へば、御不審あるべきに非ず。然るに今武将さいはひに多聞示現の霊地に御陣を召され候ふ事、いにしへ佳例かれいに違ふまじきにて候へば、天下を一時にしづめられて、敵軍を千里の外に掃はれさうらはん事、何の疑ひか候ふべき」と、まこと憑もし気に被申たりければ、相公しやうこう信心を発こされて、丹波の国小川こかはしやうを被寄附、永代の寺領にぞ被成ける。




また我が朝には朱雀院(第六十一代天皇)の御宇に、金銅の四天王を天台山(延暦寺)に安置されて、将門(平将門)を亡されました。聖徳太子は昆沙門の像を彫って、兜の真っ甲([正面])に戴き、守屋(物部守屋)の逆臣を誅しました。これらの奇特([非常に珍しく、不思議なさま])は世の知るところ、人の仰ぐところでございますれば、ご不審に及ぶものではございません。しかるに今武将幸にして多聞(多聞天=毘沙門天)示現の霊地に陣を召されしこと、古の佳例([吉例])に違うはずもございません、天下を一時に静められて、敵軍を千里の外に払われること、何の疑いがございましょう」と、まこと頼もしげに申したので、相公(足利義詮よしあきら。足利尊氏の嫡男。相公=宰相)は信心を発こして、丹波国小川庄を寄進して、(現兵庫県丹波市にある石龕せきがん寺の)永代の寺領となしました。


続く


[PR]
by santalab | 2016-11-01 07:25 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」越後守自石見引返事(...      「太平記」将軍親子御退失事付井... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
文中の両探題職は六波蘿探..
by aegean at 20:56
さらに付け加えますと、こ..
by 八島 守 at 09:03
おそらく「国民文庫」だと..
by santalab at 21:09
こんにちは。今日はSan..
by 佐藤綾乃 at 18:44
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧