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「太平記」越後守自石見引返事(その1)

越後ゑちごかみ師泰もろやすは、この時まで三隅みすみじやう退治たいぢせんとてなほ石見いはみの国に居たりけるを、師直もろなほが許より飛脚を立てて、「摂津の国播磨の間に合戦の事已に急なり。早くその国の合戦をさしおいて馳せ上らるべし。もし中国の者どもかかる時のつひえに乗つて、道を塞がんずる事もやあらんずらんと存じ候ふ間、武蔵五郎を兼ねて備前へ差し遣はす。中国の蜂起を静めて、待ち申すべし」とぞ告げたりける。越後の守この使ひに驚きて石見を立て上れば、武蔵五郎の相図を違へじと播磨を立つて、備後の石崎いはさきにぞ付きにける。将軍は八幡やはた比叡山の敵に襲はれて、播磨の書写坂本へ落ち下り、越後の守は三角の城を責め兼ねて、引き退くと聞こへしかば、上杉弾正少弼だんじやうせうひつ八幡より舟路ふなぢを経て、備後のともへ上がる。これを聞きて備後・備中・安芸・周防のつはものども、我劣らじと馳せ付きけるほどに、その勢雲霞の如くにて、靡かぬ草木もなかりけり。




越後守師泰(高師泰)は、この時まで三隅城(現島根県浜田市)を退治しようとなおも石見国に残っていましたが、師直(高師直。高師泰の兄)の許より飛脚を立てて、「摂津国播磨国の間に合戦がにわかに起こった。石見国の合戦は差し置いて早く馳せ上られよ。もしや中国の者どもがかようの時の弊え([害])に乗って、道を塞ごうとするかもしれないと思い、武蔵五郎(高師夏もろなつ。高師直の子)を備前へ差し遣わした。中国の蜂起を静めて、待っておるであろう」と知らせました。越後守(高師泰)はこの使いに驚いて石見を立つと、武蔵五郎(高師夏)はこれに合わせて播磨を立って、備後の石崎城(現広島県福山市)に着きました。将軍(足利尊氏)は八幡(現京都府八幡市にある石清水八幡宮)比叡山の敵に襲われて、播磨の書写坂本(現兵庫県姫路市にある円教寺)に落ち下り、越後守は三隅城を攻めかねて、引き退くと聞こたので、上杉弾正少弼は八幡より舟路を経て、備後の鞆の浦(現広島県福山市)に上がりました。これを聞いて備後・備中・安芸・周防の兵どもが、我劣らじと馳せいたので、その勢は雲霞の如くとなって、靡かぬ草木もありませんでした。


続く


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by santalab | 2016-11-02 07:31 | 太平記 | Comments(0)

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