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「太平記」光明寺合戦の事付師直怪異の事(その3)

寄せ手の赤松律師もこの事を伝へ聞きて、さてはこの軍墓々はかばかしからじと、気にさはりて思ひける処に、子息肥前の権のかみ朝範とものりが、兜を枕にして少し目睡みたる夢に、寄せ手一万余騎同時に掻楯かいだての際に寄つて火を懸けしかば、八幡山やはたやま金峯山きんぶぜんの方より、山鳩数千すせん飛び来てつばさを水に浸して、櫓掻楯に燃え著く火を打ち消すとぞ見へたりける。朝範やがてこの夢を則祐に語る。則祐これを聞きて、「さればこそこのじやうを責め落とさん事あり難しなどやらんと思ひつるが、果たして神明の擁護ありけり。あはれ事の難義にならぬ前に引きて帰らばや」と思ひける処に、美作より敵起こつて、赤松へ寄する由聞こへければ、則祐そくいう光明寺の陣を捨てて白旗しらはたの城へ帰りにけり。軍の習ひ、一騎も勢のくははる時には人の心勇み、一人もすく時は兵の気たゆむ習ひなれば、寄せ手の勢次第に減ずるを見て、武蔵守のつはものどもいよいよ軍おこたつて、皆帷幕ゐばくの中に休息きうそくして居たりける処に、たつみの方より怪し気なる雲一群れ立ち出でて風に随つて飛揚ひやうす。百千万の鳶烏とびからすその下に飛び散つて、雲居る山の風早み、散り乱れたる木の葉の空にのみして行くが如し。近付くに随つてこれを見れば、雲にも霞にも非ず、無文むもんの白旗一流れ天より飛びさがるにてぞありける。これは八幡大菩薩の擁護の手を加へ給ふ奇瑞きずゐなり。




寄せ手の赤松律師(赤松則祐のりすけ)もこれを伝え聞いて、さてはこの軍はかばかしからずと、気分を害しているところに、子息肥前権守朝範(赤松朝範。ただし父は赤松則祐の兄、赤松範資のりすけ)が、兜を枕にして少し目睡んだその夢に、寄せ手一万余騎が同時に掻楯([垣根のように楯を 立て並べること])の際に攻め寄って火を懸けると、八幡山(現京都府八幡市)・金峯山(現奈良県吉野郡吉野町)の方より、山鳩が数千飛んで来て翼を水に浸して、櫓掻楯に燃え付く火を打ち消すと見えました。朝範はすぐにこの夢を則祐に語りました。則祐はこれを聞いて、「そういうことであったかこの城を攻め落とすことはできまいと思うておったが、果たして神明の擁護があったとは。ならば難義にならぬ前に引いて帰ろう」と思っているところに、美作より敵が起こって、赤松(現兵庫県赤穂郡上郡町)へ寄せていると聞こえたので、則祐は光明寺(現兵庫県加東市にある寺院)の陣を捨てて白旗城(現兵庫県赤穂郡上郡町)に帰りました。軍の習い、一騎でも勢が加わる時には人の心は勇み、一人も減る時は兵の気もゆるむものでしたので、寄せ手の勢が次第に少なくなるのを見て、武蔵守(高師直もろなほ)の兵どもはますます軍に怠けて、皆帷幕([垂れ幕と引き幕])の内で休息しているところに、巽([東南])の方より怪し気な雲が一叢立ち出て風に乗って流れて来ました。百千万の鳶烏がその下を飛び回り、雲居る山の風早み(『雨雲の よそにのみして ふることは わがゐる山の 風はやみなり』。『伊勢物語』)、散り乱れた木の葉が空に舞い散るようでした。近付くにつれこれを見れば、雲でも霞でもなく、無文の白旗が一流れ天より降って来ました。これは八幡大菩薩が擁護の手を加える奇瑞でした。


続く


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by santalab | 2016-11-09 22:09 | 太平記 | Comments(0)

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