師直傍への人に、「この歌の吉凶いかがぞ」と問ひければ、聞く人毎に、あな浅ましや、『高き梢の 花ぞ散り行く』とあるは、高家の人可亡事にやあるらん。しかも『吉野山 峯の嵐の はげしさに』とあるも、先年蔵王堂を被焼たりし罪、一人にや帰すらん。『武蔵野の 草はみながら 霜枯れにけり』とあるも、名字の国なれば、旁以つて不吉なる歌と、忌々しくは思ひけれども、「目出たき歌どもにてこそ候へ」とぞ会釈しける。
師直(高師直)は近くの者に、「この歌の吉凶はどうであろう」と訊ねると、聞く人毎に、なんとも哀れなことよ、『高き梢の 花ぞ散り行く』とあるは、高家の人が亡ぶということであろう。しかも『吉野山 峯の嵐の はげしさに』とあるのも、先年蔵王堂を焼いた罪を、一人で被るということか。『武蔵野の 草はみながら 霜枯れにけり』とあるも、名字([領地])の国なれば、どれも不吉な歌と、恐ろしく思いましたが、「おめでたい歌でございます」と答えました。
(続く)