Santa Lab's Blog


「太平記」諸国宮方蜂起事付越中軍事(その8)

これを見て、降人に出たりつる三百余騎の者ども、「さらばいざ落ち行く敵どもを打ち取つて、我が高名にせん」とて、えびらたたき鬨を作つて、追つ懸け追つ懸け打ちけるに、かへし合はせて戦はんとする人なければ、ここに被追立かれに被切伏、討たるる者二百余人生け虜り百人に余れり。桃井もものゐは未だ井口ゐのくちじやうへも不行著、道にて陣に火の懸かりたるを見て、これはいかさまかへり忠の者あつて、敵夜討ちに寄せたりけりと心得て、立ち帰る処に、逃ぐるつはものども行き合つて息をもき敢えず、「ただ引かせ給へ、今は叶ふまじきにて候ふぞ」とまうし合ひける間不及力、桃井も共に井口の城へ逃げ篭もる。昼の合戦に打ち負けて、御服の峯に逃げ上りたる加賀・越前の勢ども、桃井が陣の焼くるを見て、何とある事やらんと怪しく思ふ処に、降人かうにんに出て、心ならず高名しつる兵ども三百余騎、生け捕りを先に追ひ立てさせ、きつさきくびを貫いて馳せ来たり、「如鬼神申しつる桃井が勢をこそ、我らわづかの三百余騎にて夜討ちに寄せて、若干そくばくの御敵どもを打ち取つて候へ」とて、仮名実名けみやうじつみやう事新しく、事々しげに名乗り申せば、大将鹿草かくさ出羽ではかみを始めとして国々の軍勢に至るまで、「あは大剛たいかうの者どもかな。この人々なくは、いかでか我らが会稽くわいけいの恥をばすすがまし」と、感ぜぬ人もなかりけり。後に生け捕りの敵どもがくはしく語るを聞いてこそ、さては降人に出たる不覚の人どもが、たふるる処に土を掴む風情をしたりけるよとて、かへつてにくみ笑はれける。




これを見て、降人に出た三百余騎の者どもは、「ならば落ち行く敵どもを打ち取って、我が高名にしよう」と、箙([矢を入れる容器])を叩き鬨を作って、追いかけ追いかけ打つと、返し合わせて戦おうとする者はいませんでしたので、ここに追い立てられかしこに斬り伏せられて、討たれる者は二百余人生け捕りは百人に余りました。桃井(桃井直常ただつね)はまだ井口城(現富山県南砺市)に着いていませんでしたが、道中で陣に火が懸かるのを見て、これはきっと返り忠の者がいて、敵が夜討ちに寄せたのだと心得て、立ち帰るところに、逃げる兵どもと行き合って息も吐き敢えず、「ただ引かれますよう、今となってはどうしようもありません」と申したので仕方なく、桃井とともに井口城に逃げ籠もりました。昼の合戦に打ち負けて、御服峯(白鳥城=呉服山城。現富山県富山市)に逃げ上っていた加賀・越前の勢どもは、桃井の陣が焼けるのを見て、何があったのかと怪しく思っているところに、降人に出て、思いの外に高名を上げた兵どもが三百余騎、生け捕りを先に追い立てて、切っ先に首を貫いて馳せ来て、「鬼神と言われておる桃井が勢を、我らわずか三百余騎で夜討ちに寄せて、若干の敵どもを討ち取ったぞ」と、仮名実名([真実])をとりわけ、仰々しく名乗ったので、大将鹿草出羽守をはじめとして国々の軍勢に至るまで、「なんと大剛の者どもよ。この者どもがいなければ、どうして我らが会稽の恥を雪ぐことができたことか」と、感激しない者はいませんでした。後に生け捕りの敵どもが詳しく語るのを聞いて、さては降人に出たる不覚の人どもが、倒れても土を掴む([転んでもただは起きない]=[たとえ失敗した場合でもそこ から何かを得ようとする])だけのことかと、反対に嘲り笑われました。


続く


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by santalab | 2016-11-19 09:31 | 太平記 | Comments(0)

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