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「太平記」大元軍事(その4)

大宋国たいそうこくの幼帝この事を聞き給ひて、「さらば討つ手を差し下せ」とて、伯顔丞相はくがんじようしやう上将軍じやうしやうぐんとして百万騎、襄陽じやうやうしゆ呂文煥りよぶんくわん将将軍として三十万騎さんじふまんぎ、大金の賈似道かじたう賈平相かへいしやう兄弟を副将軍として、六十万騎を差し下さる。三軍の兵三百万騎、江南かうなんに打ち臨み、夜を日に継いで、楊子江を前に見下ろして、三箇所に陣をぞ取つたりける。中にも伯顔丞相一陣に進みて、楊子江の南に控へたりけるが、大元のつはものどもの浮橋を懸け陣を張りたるていを見て、はかりことを廻らして不戦勝つ事を難得しと思ひければ、今の陣より六十里ろくじふり後ろに高くけはしき山を城にこしらへて、四方しはうの屏をいかに打ち破るとも無左右破られぬ様に高く塗らせて、内に数千間の家を透間もなく作り並べ、櫓の上矢間やまの陰に、人形を数千万すせんまん立て置きて、あるひはほこを差し招きやいばを交じへあるひは大皷を打ち弓を引きて、戦を致さんとする様に、風を以つて料理しつらひ、水を以つて操りて、岩を切つたる細道に、ただ木戸一つ開きて、内にまことの兵を二百余人留め置き、「敵城へ寄せば暫し戦ふ真似をして防ぎ兼ねたる体を見せよ。敵勝つに乗つて城中じやうちゆうへ責め入らば敵を皆内へ帯びき入れて後、同時に数千の家々に火を懸けて、己が身許り隠して、堀つたる土の穴より遁れ出て敵を皆可焼殺」とぞはかりける。




大宋国の幼帝(南宋最後の第九代皇帝、祥興帝=衛王)はこの事を聞いて、「ならば討っ手を下せ」と申して、伯顔丞相(バヤン。モンゴル帝国の将軍で、南宋討伐軍の総司令官。南宋方ではない)を上将として百万騎、襄陽守呂文煥(南宋末期の軍人)を裨将将軍として三十万騎、大金の賈似道(南宋末期の軍人、政治家)・賈平相兄弟を副将軍として、六十万騎を差し下しました。三軍の兵三百万騎が、江南に打ち臨み、夜を日に継いで、楊子江を前に見下ろして、三箇所に陣を取りました。中でも伯顔丞相は一陣に進んで、楊子江の南に控えましたが、大元の兵どもが浮橋を懸け陣を張る様子を見て、謀を廻らして戦わずに勝つことは難しいと思い、今の陣より六十里後ろに高く険しい山を城に拵えて、四方の塀をいかに打ち破るとも容易く破られぬように高く塗らせて、内には数千間の家を隙間なく作り並べ、櫓の上矢間([矢狭間]=[城の塀や櫓・軍船の胴壁などに設けた、中から矢を射るための穴])の陰に、人形を数千万立て置いて、あるいは鉾を突き出し刃を向けあるいは大皷を打ち弓を引いて、戦をするかの如く、風をもって動くように飾り付け、水をもって操り、岩を切り立てた細道に、ただ木戸一つ開いて、内に本当の兵を二百余人留め置き、「敵が城に攻めて来ればしばらく戦う真似をして防ぎかねる姿を見せよ。敵が勝つに乗って城中に攻め入れば敵を皆内へ帯びき入れた後、同時に数千の家々に火を懸けて、己が身を隠して、堀った土の穴より逃れ出て敵を皆焼き殺せ」と謀略を立てました。


続く


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by santalab | 2016-11-23 09:25 | 太平記 | Comments(0)

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