Santa Lab's Blog


「太平記」大元軍事(その5)

去るほどに三百余箇所の浮橋を已に渡し済ましてければ、大元の兵三百万騎争ひすすんで橋を渡る。伯顔丞相兼ねてたばかりたる事なれば、矢軍ちとする真似して、暫くも不支引きて行く。大元の兵勝つに乗つて、逃ぐるを追ふ事甚だ急なり。宋国の兵なほもいつはりて引くていを敵にすゐせられじと、楯・ほこ・鎧・兜を取り捨て、堀りみぞに馬を乗り棄てて我先にと逃げ走る。これをたばかりとも不知ける羽衛うゑ斥候せきこうの兵、いたづらに命をかろんじて討ち死にするも多かりけり。日已に暮れければ、宋国の兵城へ引き篭もる真似をして後ろなる深山みやまへ隠れぬ。大元の兵は敵の疲れたるつひえに乗つて、すなはちこれを討たんと城のきはまでぞ攻めたりける。旗を進めほこを差し招きて、城を遥かに見上げたれば、櫓の上屏の陰に、兵袖を連ねて並居なみゐたりとは見へながら、鬨の声も幽かに、射出す矢楯をだにも不徹。大元の将軍これを見て、人形の木偶人もくぐうにんどもにまことの人が少々相交あひまじはりて防ぐ真似するとは思ひ不寄。「敵は今朝の軍に遠引とほびきして気疲れいきほひ尽き果てけるぞ。時を暫くも不可捨。攻めよやつはものども」と諌め罵つて、責めつづみを打つて楯を進めければ、城中じやうちゆうに少々残し置かれたる兵ども、暫くあつて火の燃え出づる様に、家々に火を懸けて、抜け穴より逃げ去りける。




やがて三百余箇所の浮橋をすでに渡し終わると、大元の兵三百万騎は争い進んで橋を渡りました。伯顔丞相(バヤン。モンゴル帝国の将軍で、南宋討伐軍の総司令官。南宋方ではない)はあらかじめ計略を廻らしていましたので、矢軍を少々する真似をして、しばらくも支えず引きました。大元の兵は勝つに乗って、逃げる兵を急ぎ追いました。宋国の兵はなおも偽って引く真似を敵に悟られまいと、楯・鉾・鎧・兜を取り捨て、堀り溝に馬を乗り捨てて我先にと逃げ走りました。これを謀略とも知らぬ羽衛(羽林=前漢に設立された皇帝直属の部隊名。の衛兵)斥候([本隊の移動に先駆けてその前衛に配置された兵])の兵は、無駄に命を軽んじて討ち死にする者も多くいました。日が暮れると、宋国の兵は城に引き籠もる振りをして後ろの深山に隠れました。大元の兵は敵が疲れた隙を突いて、たちまちこれを討とうと城の際まで攻めました。旗を進め鉾を差し出して、城を遥かに見上げると、櫓の上塀の陰に、兵が袖を連ねて並んでいましたが、鬨の声もわずかに、射る矢は楯に刺さりませんでした。大元の将軍はこれを見て、まさか人形の木偶人([人形])どもにまことの人が少々混じって防ぐ真似をしているとは思いもしませんでした。「敵は今朝の軍に遠引きして気疲れし勢いは尽き果てておるだろう。時をしばらくも無駄にするでない。攻めよや兵ども」と諌め罵って、攻め皷を打って楯を進めると、城中に少々残し置かれたる兵どもは、しばらくして火が燃え出たように、家々に火を懸けて、抜け穴より逃げ去りました。


続く


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by santalab | 2016-11-24 07:30 | 太平記 | Comments(0)

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