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「太平記」大元軍事(その8)

帝師すなはち形を変へ身をやつして大宋国へ越え、江南のいちに行きて、あはれ身まどしくして子多く持ちたる人もがなと伺ひ見る処に、年六十有余いうよなる翁の、一つの剣を売りて肉饅頭にくまんぢゆうを買ふあり。帝師問うていはく、「剣を売りて牛を買ふはをさまれる世の備へなり。牛を売りて剣を買ふは乱れたる時の事なり。父老ふらう今剣を売つて饅頭を買ふ。その用何事ぞや」。老翁答へていはく、「我かつて兵の凶器なる事を不知、若かりし時好んで兵書を学びき。智は性のたしなむ処に出づるものなれば、呉氏・孫氏が秘する処の道、尉潦うつれう李衛りゑいが難しとする処の術、一つを挙げて占へば、則ち三つをへんして悟りき。然れば乍坐三尺さんじやくの雄剣をひつさげて、立処に四海の乱ををさめん事、我に非ずはそやと、心を千戸万戸せんこばんこの侯に懸けて思ひしに、我さかんなりしほどは世をさまり国しづかなりし間、武に於いて用ゐられず、今天下まさに乱れて、剣士もつとも功を立つる時には、我已に老衰らうすゐしてその選びに不当、久しくこの江南の市のほとりに旅宿して、わづかに三人の男子をまうけたり。相如しやうじよが破壁風さぶくして夜の衣短く、劉仲りうちゆう乾鍋かんくわたきぎ尽きて朝のざん空し。ただ老驥らうきの千里を思ふ心未だ屈せざれども、飢鷹きおうの一呼を待つ身と成りぬ。ゆゑにこの剣を売りて三子の飢ゑをたすけんと欲するなり」とくはしく身のうへつかれを侘びて涙を流してぞ立つたりける。




帝師(パクパ。チベット仏教サキャ派の座主)はすぎに姿を変え身を窶して大宋国(南宋)へ越え、江南(現南京市)の市に行って、身は貧しくして子を多く持つ人はいないか探すところに、年六十有余なる翁が、一本の剣を売って肉饅頭を買っていました。帝師は訊ねて、「剣を売って牛を買うのは治世の備えのためである。牛を売って剣を買うのは乱世の時のこと。父老よ剣を売って饅頭を買っておったな。どうしてなのか」。老翁は答えて、「わしは兵が恐ろしいものとは知らず、若い頃は好んで兵書を学んでおった。好きこそ物の上手なれと申して、呉子・孫子が秘するところの道、尉潦(中国戦国時代の人らしい)・李衛(李靖りせい。中国唐代に太宗に仕えた軍人・政治家)が困難とするところの術も、一々に見極めれば、たちまち三つを悟ったものじゃ。じゃから仕事もせずただ三尺の雄剣を引っ提げて、たちまちに四海([国内])の乱を鎮めるのは、わしを置いて他におるものかと、心を千戸万戸の侯に懸けておったが、わしが若かりし頃は世は治まり国は静まっておったので、武として用いられることはなかったのじゃ、今天下はまさに乱れて、剣士がもっとも功を立てる時には、わしはすでに老衰して選ばれず、久しくこの江南の市の上に旅宿して、わずかに三人の男子を儲けた。相如(司馬相如。中国前漢頃の文章家。相如は若い頃、非常に生活に困り、家はただ四方の壁しかなかったという。後に武帝に重用された。『相如四壁』)の破壁に風寒くして夜の衣は短く、劉仲は乾鍋([四川料理で、唐辛子や花椒を利かせ、辛く味付けした汁気のない鍋料理])の薪が尽きて朝飯が食べられなかったという。老驥が千里を思う心(『老驥櫪に伏するも志は千里にあり』=[駿馬は年老いて馬屋につながれていても、なお千里を走ろうという気持ちを失わない])をいまだ失ってはおらぬが、飢鷹が一呼([人の言動に応じること])を待つ身となってしもうた。だからこの剣を売って三子の飢えを助けようと思うたのじゃよ」と詳しく身の衰えを悲しんで涙を流しました。


続く


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by santalab | 2016-11-27 09:17 | 太平記 | Comments(0)

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