帝師使者の語るを聞きて、今はかうと思ひければ、三千両の金に身を売りたりつる老翁を呼びて、かれが股の肉を切り裂いて、呂文煥・伯顔将軍・賈丞相三人が手迹を学びて返逆籌策の文を書き、かれが骨の間に収めて疵を愈してぞ持たせける。その文に書きけるは、「我ら已に大元の軍に打ち勝つて士卒の付き従ふ事数を不知。天已に時を与へたり。不取却つて禍ひあるべし。然れば早く士を引き約を成して帝都に赴かんと欲す。もし亡国の暗君を捨てて有道の義臣に与みせんとならば、戈を倒にする謀を可致」と書きて、宮中の警固に残し留められたる国々の兵の方へぞ遣はしける。
帝師(パクパ。チベット仏教サキャ派の座主)は使者が語るのを聞いて、策を廻らせました、三千両の金で身を売った老翁を呼んで、老翁の腿の肉を切り裂いて、呂文煥(南宋末期の軍人)・伯顔将軍(バヤン。モンゴル帝国の将軍で、南宋討伐軍の総司令官)・賈丞相(賈似道。南宋末期の軍人、政治家)三人の筆跡を真似て返逆の籌策([計略])の文を書き、老翁の骨の間に収めて疵を愈して持たせました。その文に書かれていたのは、「我らは大元の軍に打ち勝って士卒の付き従う数を知らず。天はすでに時を与えた。取らずばかえって禍いとなろう。なればすぐさま兵を率い約を成して帝都に向かおうと思う。もし亡国(南宋)の暗君を捨てて有道([正しい道にかなっていること])の義臣に加わるならば、自国に戈を向ける謀を致すべし」と書いて、宮中の警固に残し留められた国々の兵の方に遣わしました。
(続く)