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「太平記」光厳院禅定法皇行脚事(その1)

光厳院くわうごんゐん禅定法皇ぜんぢやうほふわうは、正平しやうへい七年の頃、南山賀名生あなふの奥より楚のとらはれを赦され給ひて、都へ還御なりたりし後、世の中をいとど憂きものに思し召し知らせ給ひしかば、姑射山こやさんの雲を辞し、汾水陽ふんすゐやうの花を捨てて、なほ御身を軽く持たばやと思し召しけり。御荒増おんあらましの末とほりて、方袍円頂はうはうゑんちやう出塵しゆつぢんの徒とならせ給ひしかば、伏見の里の奥光厳院くわうごんゐんと聞こへし幽閑いうかんの地にぞ住ませ給ひける。これもなほ都近き所なれば、旧臣の参り仕へんとするもいとはしく、浮世の事の御耳に触るもさまじく思し召されければ、来たりて止まる所なく、去りて住することなし。柱杖頭辺しゆぢやうとうへん活路くわつろ通ずと、中峰ちゆうほう和尚の作りし送行そうあん、まことに由ありと御心にみて、人工にんぐ行者あんじやの一人をも召し具されず、ただ順覚と申しける僧を一人御供にて、山林斗薮とそうの為に立ち出でさせ給ふ。




光厳院禅定法皇(北朝初代天皇光厳院)は、正平七年(1352)頃、南山賀名生(現奈良県五條市)の山奥の楚囚([囚人])を赦されて、都へ還御された後、世の中をいっそう悲しく思われて、姑射山([上皇・法皇の御所])での暮らしをやめられて、汾水([汾河]=[黄河第二の支流])に陽神([男神をがみ]=[男性の神])の花の位を捨て、もっと身軽になりたいと思われました。荒増(質素)を求めて([末通る]=[最後まで一貫する])、方袍円頂([僧侶の身])である出塵([出家して僧となること])の僧となられ、伏見の里の奥光厳院(金剛寿院)と呼ばれる幽閑([奥深くて静かなこと])の地に住まわれました。ここもまた都から近い場所でしたので、旧臣が参って仕えようとするのも煩わしく、浮世の事が耳に聞こえるのも悲しく思われて、長居することなく、すぐにそこを去りました。柱杖頭辺(柱の頭の高さほど)に活路通ず(窮地からのがれ出る方法はある)と、中峰和尚(中峰明本。中国元代の禅僧)が作った送行([送別])の偈([言葉])の、趣きは心に染みて、人工([禅宗で、剃髪して力仕事などの下働きをする者])・行者([禅宗で、寺内の諸種の用務をする者])を一人も連れず、ただ順覚と申す僧を一人供にして、山林斗薮([山野に寝て、不自由に堪えながら、仏道修行に励むこと])のために出立されました。


続く


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by santalab | 2016-12-04 08:42 | 太平記 | Comments(0)

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