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「太平記」光厳院禅定法皇行脚事(その3)

回首望東を、雲に連なり霞に消えて、高くそばたてる山あり。道に休めるきこりに山の名を問はせ給へば、「これこそ音に聞こへ候ふ金剛山のじやうとて、日本国の武士どもの、幾千万と言ふ数をも知らず討たれ候ひし所にて候へ」とぞ申しける。これを聞こし召して、「あな浅ましや、この合戦と言ふも、我一方の皇統くわうとうにて天下を争ひしかば、その亡卒ばうそつの悪趣にして多劫たごふが間苦を受けん事も、我が罪障ざいしやうにこそなりぬらめ」と先非を悔いさせおはします。経日紀伊の川を渡らせ給ひける時、橋柱朽ちて見るも危ふき柴橋あり。御足さまじく御肝消えて渡りかねさせ給ひたれば、橋の半ばに立ち迷うてをはするを、誰とは知らず、いかさまこの辺に、ひぢを張り作り眼する者にてぞあるらんと思へたる武士七八人後より来たりけるが、法皇の橋の上に立たせ給ひたるを見て、「ここなる僧の臆病気おくびやうげなる見たうもなさよ。これほど急ぎ道の一つ橋を、渡らばく渡れかし。さなくは後に渡れかし」とて、押し退けまゐらせけるほどに、法皇橋の上より押され落とさせ給ひて、水に沈ませ給ひにけり。順覚、「あら浅ましや」とて、衣着ながら飛び入つて引き起こし参らせたれば、御膝は岩の角に当たりて血になり、御衣は水に浸りて絞り得ず。泣く泣くあたりなる辻堂へ入れ参らせて、御衣を脱ぎ替へさせ参らせけり。




首を廻らせ東を望めば、雲に連なり霞に消えて、高くそばだつ山がありました。道に休む木こりに山の名を訊ねると、「これこそ音に聞こえる金剛山城(現奈良県御所市にある転法輪寺。一時廃寺)ですだ、日本国の武士どもが、幾千万と言う数をも知らず討たれた所でございますよ」と答えました。これを聞かれて、「なんとも悲しいことよ、この合戦も、我が一方の皇統(持明院統)として天下を争い、その亡卒が悪趣([現世で悪事をした結果、死後におもむく苦悩の世界。地獄])に堕ちて、多劫([劫]=[ほとんど無限ともいえるほどの長い時間の単位])の間苦を受けるのも、我が罪障となるであろう」と先非を後悔されておられました。日を経て紀ノ川(現奈良県の大台ヶ原山に源を発し、和歌山県北部を西流して紀淡海峡に注ぐ川)を渡られましたが、橋柱が朽ちて見るも危うい柴橋がありました。足は震え肝は消えて渡りかねて、橋の半ばに立ち迷っておられると、誰とは知らず、おそらくこの辺で、肘を張り([肘を突っ張っていかにも強そうにする])作り眼([わざと恐ろしい目つきをすること])する者であろうと思われる武士七八人が後より来ました、法皇(北朝初代天皇光厳院)が橋の上に立っているのを見て、「ここにおる僧が臆病気を吹かせておるぞなんともみっともない姿よ。急ぎ道のこの橋を、渡りたいなら急いで渡れ。急ぎでなければ後から渡れ」と言って、押し退けたので、法皇は橋の上から押し落とされて、水に落ちてしまいました。順覚は、「なんということを」と言って、衣着のまま川に飛び入って引き起こせば、膝は岩角に当たって血になり、衣は水に濡れて絞りかねるほどでした。泣く泣くあたりの辻堂へ入れ参らせて、衣を脱ぎ替え参らせました。


続く


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by santalab | 2016-12-06 08:11 | 太平記 | Comments(0)

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