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「太平記」持明院新帝自江州還幸事付相州渡四国事(その1)

帝都の主上しゆしやうは、いまだ近江へ武佐寺むさでら御坐ござあつて、京都の合戦いかがあるらんと、御心苦しく思し召しけるところに、康安かうあん元年十二月二十七日に、宰相中将殿さいしやうのちゆうじやうどの早馬を立てて、洛中の凶徒ら事故なく追ひ落とし候ひぬ。急ぎ還幸くわんかうなるべき由を申されたりければ、君を始め参らせて、供奉ぐぶ月卿げつけい雲客うんかく奴婢僕従ぬひぼくじゆうに至るまで、悦び合へる事世の常ならず。その明けの朝やがて竜駕りようがうながされて、先づ比叡山ひえいさんの東坂本へ行幸なつて、ここにて御越年をつねんあり。佐々波さざなみ寄する志賀の浦、荒れて久しき跡なれど、昔ながらの花園は、今年を春と待ちがほなり。これも都とは思ひながら馴れぬ旅寝の物憂さに、諸卿皆今一日もと還幸くわんかうを勧め申されけれども、「去年十二月八日都を落ちさせ給ひし刻みに、さらでだに諸寮つかさけたりし里内裏、垣も格子も破れ失せ、御簾みす畳もなかりければ、しばらく御修理みしゆりくはへてこそ還幸くわんかうならめ」とて、翌年の春の暮月ぼげつに至るまで、なほ坂本にぞ御坐ありける。




帝都の主上(北朝第四代後光厳天皇)は、まだ近江の武佐寺(現滋賀県近江八幡市にある広済寺)におられて、京都の合戦はどうなることかと、心配されておりましたが、康安元年(1361)十二月二十七日に、宰相中将殿(北畠顕能あきよし)が早馬を立てて、洛中の凶徒らを無事追い落としました。急ぎ還幸なされますようにと申したので、君(後光厳天皇)をはじめ、供奉の月卿雲客([公卿・殿上人])、奴婢僕従([賤民・召使い])にいたるまで、よろこび合うこと尋常ではありませんでした。その明けの朝やがて竜駕([天子の乗用する車])に乗られて、まず比叡山の東坂本(現滋賀県大津市)に行幸になられて、そこで越年されました。さざ波寄せる志賀の浦、荒れて久しい場所でしたが、昔ながらの花園は、今年を春と待ち顔でした。これも都とは思いながら慣れぬ旅寝のつらさに、諸卿は皆今一日もと還幸を勧め申しましたが、「去年十二月八日に都を落ちた折に、諸寮司所も壊されて里内裏の、垣も格子も破れ失せ、御簾畳もなければ、しばらく修理をしてから還幸しようではないか」と申されたので、翌年の春の暮月([陰暦三月])に至るまで、なおも坂本におられました。


続く


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by santalab | 2016-12-23 09:18 | 太平記 | Comments(0)

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