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「太平記」持明院新帝自江州還幸事付相州渡四国事(その3)

ここにて今年の春を送らせ給ふに、とかくして諸寮の修理如形出来れば、四月十九日に本の里内裏へ還幸くわんかうなる。供奉の月卿雲客うんかくは指したる行粧かうさうなかりしかども、辻々の警固随兵ずゐひやうの武士ども皆あたりを耀かかやかしてぞ見へたりける。「細川相摸のかみ清氏きようぢは、近年武家の執事として、兵の随ひ付きたる事幾千万と云ふ数を不知。その身また弓箭ゆみやを取つて、無双ぶさうの勇士なりと聞こへしかば、これが宮方へ降参しぬる事、偏へに帝徳の天に叶へる瑞相ずゐさう、天下の草創は必ずこの人の武徳より事定まるべし」と、吉野の主上しゆしやうを始めまゐらせて、諸卿皆悦び思し召しければ、すなはち大将の任をぞさづけられける。その任案に相違して、去年の冬南方なんばう官軍くわんぐん相共に、宰相中将殿さいしやうのちゆうじやうどのを追ひ落として、暫く洛中に勢を振るひし時も、この人に馳せ付く勢もなし。幾程なくて官軍また都を落とされて、清氏河内かはちの国に居たれども、その旧好きうかうを慕ひてたづね来る人も稀なり。ただ禿筆とくひつたとへられし覇陵はりよう旧将軍きうしやうぐんに不異。清氏はん方なさに、「もし四国へ渡りたらば、日来相順あひしたがひしつはものどもの馳せ付く事もやあるらん」とて、正月十四日に、小船十七艘に取り乗つて阿波あはの国へぞ渡られける。




ここで今年の春を送られましたが、なんとか諸寮の修理が型通り出来がったので、四月十九日に本の里内裏に還幸されました。供奉の月卿雲客([公卿・殿上人])は取り立てて申すほどの行粧([外出や旅のときの服装])ではありませんでしたが、辻々の警固随兵の武士どもは皆あたりを輝かすほどに見えました。「細川相摸守清氏(細川清氏)は、近年武家(室町幕府第二代将軍、足利義詮よしあきら)の執事として、従い付く兵の数は知れないほどでした。清氏もまた弓矢を持ち、無双の勇士と聞こえたので、これが宮方(南朝)に降参した時には、ひとえに帝徳が天に叶う瑞相([前兆])であり、天下の草創は必ずやこの人の武徳によって決するであろう」と、吉野の主上(第九十七代後村上天皇)をはじめ、諸卿は皆よろこんで、たちまち大将の任を授けました。その任は案に反して、去年の冬南方(南朝)の官軍とともに、宰相中将殿(北畠顕能あきよし)を追い落として、しばらく洛中に勢を振るいましたが、この人に馳せ付く勢はありませんでした。ほどなく官軍はまた都を落とされて、清氏は河内国にいましたが、旧好を慕い訪ねる人は稀でした。ただ禿筆([穂先の擦り切れた筆])にたとえられた覇陵の旧将軍(李広。中国前漢時代の将軍)に異なりませんでした。清氏は仕方なく、「もしや四国へ渡れば、日来従っていた兵どもが馳せ付くこともあろうか」と、正月十四日に、小船十七艘に取り乗って阿波国に渡りました。


続く


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by santalab | 2016-12-25 08:53 | 太平記 | Comments(0)

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