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「太平記」可立大将事付漢楚立義帝事(その1)

それ大将を立つるに道あり。大将その人に非ざれば、戦に勝つ事を得難し。天下すでに定まつて後、文を以つて世ををさむる時は、智慧を先とし、仁義を本とするゆゑに、今まで敵なりし人をも許容して、政道を行はせ大官をさづくる事あり。いはゆる魏徴ぎちようは楚の君の旧臣なりしかども、たうの太宗これをもちゐ給ふ。管仲は子糾しきう寵人ちようじんたりしかども、せい桓公くわんこうこれをしやうせられき。天下未だ定まらざる時、武を以つて世を取らんずるには、功ある人を賞し咎ある人を罰する間、たとひ威勢ある者なれども、降人かうにんを以つて大将とはせず。伝へ聞く秦の左将軍さしやうぐん章邯しやうかんは、四十万騎しじふまんぎの兵を率して、楚に降参したりしかども、項羽かううこれを以つて大将の印を不与。項伯は、鴻門こうもんくわいに心を入れて高祖かうそを助けたりしかども、漢に下つて後これに諸侯の国を不授。




大将を立てる道理があります。大将の器にない人を立てれば、戦に勝つことはできません。天下がすでに定まった後に、文事をもって世を治めるには、まず智慧を先とし、仁義を基本とすれば、今まで敵であった人も許容して、政道を助け大官を授けられることもあります。いわゆる魏徴(唐の政治家)は楚の君の旧臣でしたが(?)、唐の太宗(唐の第二代皇帝)は魏徴を重用しました。管仲(中国春秋時代、斉の政治家)は子糾(公子糾)の寵人でしたが、斉の桓公(春秋時代、斉の第十六代代君主)はこれを重用しました(公子糾の母は魯の人で、公子糾と管仲はともに魯に逃れたらしい)。天下がまだ決まらぬ時、武をもって世を取るには、功ある人を賞し咎ある人を罰し、たとえ威勢のある者であったとしても、降人を大将とはしないものです。伝へ聞くところ秦の左将軍章邯は、四十万騎の兵を率して、楚に降参しましたが、項羽は大将の印を与えませんでした(章邯は項羽によって殺されたらしい)。項伯(中国戦国時代末期から前漢初期にかけての政治家、武将)は、鴻門の会([楚の項羽と漢の劉邦が、秦の都咸陽郊外で会見した故事])を企てて高祖(劉邦)を助けましたが、漢に下った後項伯に諸侯の国を授けられることはありませんでした(項伯は劉邦により射陽侯に封じられたらしい)。


続く


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by santalab | 2016-12-26 08:42 | 太平記 | Comments(0)

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