加様の先蹤を、南方祗候の諸卿誰か存知し給はざるに、先づ高倉左兵衛の督入道慧源に、大将の号を授けて、兄の尊氏の卿を討たせんと給ひしかども叶はず。次に右兵衛の佐直冬に、大将の号を許されて、父の将軍を討たせんとし給ひしも不叶。また仁木右京の大夫義長に大将を授けて、世を覆さんとせられしも不叶。今また細川相摸の守清氏を大将として、代々の主君宰相の中将殿を亡ぼさんとし給ふ不叶。これただその理に不当大将を立て、あるひは父兄の道を違へ、あるひは主従の義を背く故に、天の譴あるに非ずや。されば古も世を取らんとする人は、専ら大将を選びけるにや。
この先蹤([前例])を、南方に祗候する諸卿の誰一人として知らなかったために、まず高倉左兵衛督入道慧源(足利直義。足利尊氏の弟)に、大将の号を授けて、兄である尊氏卿を討たせようとしましたが叶いませんでした。次に右兵衛佐直冬(足利直冬。尊氏の子)に、大将の号を許されて、父である将軍を討たせようとしましたが叶いませんでした。また仁木右京大夫義長(仁木義長)に大将を授けて、世を覆そうとしましたが叶いませんでした。今また細川相摸守清氏(細川清氏)を大将として、代々の主君宰相中将殿(足利義詮。尊氏の嫡男。鎌倉幕府第二代将軍)を亡ぼそうとしても叶わないことでした。これはただその理に当たらぬ大将を立て、あるいは父兄の道に反し、あるいは主従の義を背くによって、天の責めを被ったためではないでしょうか。されば古代も世を取ろうとする人は、第一に大将を選んだのでしょう。
(続く)