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「太平記」可立大将事付漢楚立義帝事(その2)

加様かやう先蹤せんしようを、南方祗候の諸卿たれか存知し給はざるに、先づ高倉左兵衛さひやうゑかみ入道慧源ゑげんに、大将の号をさづけて、兄の尊氏たかうぢきやうを討たせんと給ひしかども叶はず。次に右兵衛うひやうゑすけ直冬ただふゆに、大将の号を許されて、父の将軍を討たせんとし給ひしも不叶。また仁木につき右京うきやうの大夫義長よしながに大将をさづけて、世をくつがへさんとせられしも不叶。今また細川相摸のかみ清氏きようぢを大将として、代々の主君宰相さいしやう中将殿ちゆうじやうどのを亡ぼさんとし給ふ不叶。これただその理に不当大将を立て、あるひは父兄の道をたがへ、あるひは主従の義を背くゆゑに、天のせめあるに非ずや。されば古も世を取らんとする人は、もつぱら大将を選びけるにや。




この先蹤([前例])を、南方に祗候する諸卿の誰一人として知らなかったために、まず高倉左兵衛督入道慧源(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)に、大将の号を授けて、兄である尊氏卿を討たせようとしましたが叶いませんでした。次に右兵衛佐直冬(足利直冬。尊氏の子)に、大将の号を許されて、父である将軍を討たせようとしましたが叶いませんでした。また仁木右京大夫義長(仁木義長)に大将を授けて、世を覆そうとしましたが叶いませんでした。今また細川相摸守清氏(細川清氏)を大将として、代々の主君宰相中将殿(足利義詮よしあきら。尊氏の嫡男。鎌倉幕府第二代将軍)を亡ぼそうとしても叶わないことでした。これはただその理に当たらぬ大将を立て、あるいは父兄の道に反し、あるいは主従の義を背くによって、天の責めを被ったためではないでしょうか。されば古代も世を取ろうとする人は、第一に大将を選んだのでしょう。


続く


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by santalab | 2016-12-27 07:23 | 太平記 | Comments(0)

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