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「太平記」可立大将事付漢楚立義帝事(その4)

その後より漢楚の軍は利あつて、秦の兵所々にて打ち負けしかば、秦の世つひに亡びにけり。これを以つて思ふに、故新田義貞よしさだ義助よしすけ兄弟は、先帝の股肱ここうの臣として、武功天下無双。その子息二人ににん義宗よしむね義治よしはるとて越前ゑちぜんの国にあり。共に武勇ぶようの道父に不劣、才智また世に不恥。この人々を召して竜顔りようがん咫尺しせきせしめ、武将に委任せられば、誰かその家をかろんじ、誰か旧功を継がざらん。これらを差し置いて、降参不儀の人を以つて大将とせられば、吉野の主上しゆしやう天下を被召事、千に一つも不可有。たとひ一旦軍に打ち勝たせ給ふ事あるとも、世はまた人の物とぞ思へたる。




その後より漢楚の軍が勝ち、秦の兵は所々で打ち負けて、秦の世は終に滅びました。これを思えば、故新田義貞・義助(脇屋義助)兄弟は、先帝(第九十六代、南朝初代後醍醐天皇)の股肱([主君の手足となって働く、最も頼りになる家来や部下])の臣として、武功は天下に並ぶ者はありませんでした。その子息二人義宗(新田義宗。新田義貞の三男)・義治(脇屋義治。脇屋義助の子)と申して越前国にいました。ともに武勇の道は父に劣らず、才智もまた世に恥じるものではありませんでした。この人々を召して竜顔に咫尺([貴人の前近くに出て拝謁すること])し、武将に委任すれば、いったい誰がその家を軽んじ、旧功を継ごうとしないが者がいることでしょう。これらを差し置いて、降参不儀の人を大将とすれば、吉野の主上(第九十七代、南朝第二代後村上天皇)が天下を取ることは、千に一つもありませんでした。たとえ一旦の軍に打ち勝つことがあったとしても、世はまた他人のものとなると思われました。


続く


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by santalab | 2016-12-29 09:10 | 太平記 | Comments(0)

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