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「太平記」身子声聞一角仙人志賀寺上人事(その8)

余の人は皆いかなる修行者乞食こつじき人やらんと、怪しむ事もなかりけるに、御息所御簾みすの内より遥かに御覧ぜられて、これはいかさま志賀の花見の帰るさに、目を見合はせたりしひじりにてやをはすらん。我故われゆゑに迷はば、後世の罪が身の上にか可留。余所ながら露許りの言の葉に情けを懸けば、慰む心もこそあれと思し召して、「上人これへ」と被召ければ、はなはなと振るひて、中門の御簾の前にひざまつきて、申し出でたる事もなく、さめざめとぞ泣き給ひける。御息所は偽りならぬ気色のほど、哀れにもまた恐ろしくも思し召されければ、雪の如くなる御手を、御簾の内より少し指し出ださせ給ひたるに、上人御手に取り付きて、

初春の はつねの今日の 玉箒たまははき 手に取るからに ゆらぐ玉の緒

と詠まれければ、やがて御息所取り敢へず、
極楽の 玉のうてな蓮葉はちすばに 我をいざなへ ゆらぐ玉の緒

と遊ばされて、聖の心をぞ慰め給ひける。かかる道心堅固だうしんけんごの聖人、久修練業くしゆれんぎやう尊宿そんしゆくだにも、遂げ難き発心修行の道なるに、家富み若き人の浮世のきづなを離れて、永く隠遁の身と成りにける、左衛門さゑもんすけ入道にふだうの心のほどこそ難有けれ。




ほかの人は皆いかなる修行者乞食人([托鉢僧])であろうかと、怪しむ人もいませんでしたが、御息所は御簾の内より遥かに上人を見て、これはきっと志賀の花見の帰り道で、目を見合わせた聖にちがいありません。わたしのために道に迷っておられるのなら、後世の罪は誰の身の上となりましょう。余所ながらわずかの言葉に情けをかければ、慰む心もありましょうと思い、「上人よこちらへ」と呼べば、体を振るわせて、中門の御簾の前にひざまずくと、申す言葉もなく、たださめざめと泣くばかりでした。御息所は偽りでない姿を、哀れにもまた恐ろしくも思い、雪のような手を、御簾の内より少し指し出すと、上人は手に取り付いて、

初春の、初子の今日の玉箒([玉の飾りをつけたほうき。 正月の初子の日に蚕室を掃くのに用いた])の、なんと美しいことよ。もう玉の緒([命])を惜しいとは思いません。(大伴家持)

と詠んだので、やがて御息所も、
極楽の玉の台の蓮葉に、わたしもどうかお迎えくださいませ。

と詠んで、聖の心を慰めたということです。これほどの道心堅固の聖人、久修練業([長年修行をして、高い宗教的境地に達すること。また、その人])の尊宿([年老いた、徳の高い僧])でさえも、遂げ難い発心修行の道ですが、家富み若い人が浮世の縁を離れて、永く隠遁の身となった、左衛門佐入道(斯波氏頼うぢより)の決心はほかにないものでした。


続く


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by santalab | 2017-01-11 07:06 | 太平記 | Comments(0)

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