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「太平記」黒丸城初度軍の事付足羽度々軍の事(その3)

三番に細屋右馬の助、千余騎にて河合かはひの庄より押し寄せ、北の端なる勝虎城しようとらがじやうを取り巻いて、即時に攻め落とさんと、屏につき堀につかりて攻めけるところへ、鹿草かぐさ兵庫ひやうごの助三百余騎にて後詰めにまはり、大勢の中へ懸け入つておもても振らず攻め戦ふ。細屋が勢、城中じやうちゆうの敵と後詰めの敵とに追つ立てられて本陣へ引つかへす。かくて早や寄せ手足羽あすはの合戦に、打ち負くる事三箇度に及べり。この三人の大将は、皆天下てんが人傑じんけつ、武略の名将たりしかども、余りに敵をあなどつて、おぎろに大早おほはやりなりしゆゑに、毎度のいくさに負けにけり。されば、後漢の光武くわうぶに臨む毎に、「大敵を見てはあざむき、小敵を見ては恐れよ」と云ひけるも、ことわりなりと思えたり。




三番に細屋右馬助が、千余騎で河合庄(現福井県福井市)より押し寄せ、北の端の勝虎城(現福井県福井市)を取り巻いて、即時に攻め落とそうと、屏に取り付いて攻めるところに、鹿草兵庫助(完草公相)が三百余騎で後詰め([敵の背後に回って攻めること])に回り、大勢の中へ駆け入って面も振らずに攻め戦いました。細屋(右馬助)の勢は、城中の敵と後詰めの敵とに追っ立てられて本陣へ引き返しました。こうして早くも寄せ手は足羽の合戦(足羽七城の戦い)に、打ち負けること三度に及びました。この三人の大将は、皆天下の人傑、武略の名将でしたが、あまりに敵を侮って、性急に攻めたので、毎度の戦に負けたのでした。なれば、後漢の光武帝(後漢の初代皇帝)が、戦に臨む毎に、「大敵を見ては計略をもって当たり、小敵を見ては恐れよ」と申したのも、道理と思われました。


続く


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by santalab | 2017-01-13 07:17 | 太平記 | Comments(0)

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