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「太平記」越後勢越越前事(その1)

されば越後の国は、そのさかひ上野に隣つて、新田の一族満ち満ちたる上、元弘以後義貞よしさだ朝臣勅恩の国として、拝任すでに多年なりしかば、一国の地頭ぢとう後家人ごけにん、その烹鮮はうせんに随ふ事日久し。義貞すでに北国をたひらげて京都へ攻め上らんとし給ふ由を聞きて、大井田おゐだ弾正少弼せうひつ・同じき式部の大輔たいふ・中条入道・鳥山左京さきやうすけ・風間信濃のかみ禰津ねづ掃部かもんの助・大田滝口を始めとして、その勢都合二万余騎にて、七月三日越後の府を立つて越中ゑつちゆうの国へ打ち越えけるに、その国の守護普門ふもん蔵人くらんど俊清としきよ、国の境に出で合ひてこれを支へんとせしかども、俊清無勢ぶせいなりければ、大半討たれて松倉のじやうへ引き籠もる。越後ゑちごの勢はここを打ち捨てて、やがて加賀の国へ打ち通る。富樫とがしの介これを聞きて、五百余騎の勢を以つて、阿多賀あたか・篠原の辺に出で合ふ。しかれども敵に対揚たいやうすべきほどの勢ならねば、富樫がつはもの二百余騎討たれて、那多なたの城へ引つ籠もる。




こうして越後国は、上野(現福井県福井市上野本町)を境にして、新田(義貞)の一族で満ちあふれて、元弘以後義貞朝臣(新田義貞)勅恩の国として、拝任([官職に任ぜられること])すでに多年になっていました、一国の地頭([在地領主])・後家人([武士])、義貞の烹鮮([政治を行うこと])に随うようになって長くなりました。義貞すでに北国を平らげて京都へ攻め上ろうとしていることを聞いて、大井田弾正少弼(大井田氏経うぢつね)・同じく式部大輔(大井田義政よしまさ)・中条入道・鳥山左京亮(鳥山家成いへなり)・風間信濃守(風間信昭のぶあき)・禰津掃部助・大田滝口を始めとして、その勢都合二万余騎で、七月三日越後国府(現福井県越前市)を立って越中国へ打ち越えました、越中国の守護普門蔵人俊清(井上俊清)は、国境に出てこれを防ごうとしましたが、俊清は無勢でしたので、大半討たれて松倉城(現富山県魚津市)へ引き籠もりました。越後の勢はここを打ち捨てて、やがて加賀国へ渡りました。富樫介(富樫高家たかいへ)はこれを聞いて、五百余騎の勢をもって、阿多賀(安宅?現石川県小松市)・篠原(現石川県加賀市)の辺に出ました。けれども敵に対揚([匹敵])するほどの勢ではありませんでしたので、富樫の兵は二百余騎討たれて、那多城(現石川県野々市市)へ引き籠もりました。


続く


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by santalab | 2017-01-14 09:39 | 太平記 | Comments(0)

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